認識論
白川英樹の発見パターンのプロセスを検証した本である。 白川は、即戦力直結な応用研究ではなく、基礎研究たる課題に直面している以上これを続行すべく、そしてブレークスルーを招来すべく、日本の研究者がのっかっている論文量産フレームワークから離脱する…
既にこの話題に触れているが、忘れないうちにファイアアーベントによるストーンヘンジの研究者の話についてここに書き留めておく。 対象は、前回のAとB(=ファイアアーベント)の対話、Aが"あの低能ども"と連呼するBに辟易し、一旦降参した直後にはじまる。 A…
このままでは本当にチャカシ・ワードとなってしまうので。 ヴァレ神父の籤言とやらの絵解きをま。知ってるのでしょうけどね。 その人は、ある難問を解く鍵を、ヴァレ神父という人物が書いた小冊子から得、その鍵に導かれて論文を書いた。この論文を批評した…
なんて、言ってますけど、チャカシでこんなタイトルではありません。こういう"延焼"は、この後ろ暗いセカイでは茶飯事でしょう。だから大袈裟な!んなこたあない。 、 、 、 なんでレンフルーたちは、Hawksという研究者の言説から、社会の研究への射程を待望…
画太郎先生誰だって??が、ここまで露悪的に注意を惹いたのは、ヒトが占星術やこれを嘲笑する近代科学に仮託してまで、何を知ろうとしたのか。これを語りたかったからにほかならない。とここから先は、完全に営業妨害だろ、poli。
上の権威の汚染が、医師にもはびこっていることを語っているくだりもあり(本書 pp.151-154 ll.6-17, ll.1-13)。 同様な視点が他にあるとすれば、汚染と捉えていたかはともかく、権力の介入を痛切にそして冷静に捉えテクスト化したのが、精神科医としての現…
ことポール=ファイヤアーベント大先生の御成りである。三つの対話のうち、彼の咆吼を最も反映するのが、「第二の対話 科学とは何か」である。年代からいえば、この対話が一滴落とされ、ややクールダウンし第二を相対化して示された第三の対話、そして三つに…
KOneさんへ。 この間も、本書の話をしたわけですが、どうしても読後感書けずにいました。 だって、やばいです!これ!! あ。でも世に言うヤバイではなくて、ほんとにだから、絵的に使えね〜だろ!!的なやばさなわけです。 、 、
ドゥルーズがその著書『フーコー』(河出文庫 2007)にて、『性の歴史』(これとあれとそれね)理解への導きの糸としているのが、本書である。 本書は、この前作『言葉と物』への読者の熱烈なPardon??に応えてというか、連中があんまりコーゾ〜こ〜ぞーいうもん…
fischeさんのブログで知る訃報。 ????の! 今村仁司に続いて、このひともかよ、、、、、ショックだ。もう。 poliの浪人生活決定の数日後に書店で手に取ったのが、上2著いやいや、とっとと受験勉強に着手せ〜poliよ!! んで。残りの2著は、入学した直…
どう"分かった"のか、ばかりをたっとぶ、通常科学を反動的に崇拝するねつ造被害者連合どもは、 全員氏ね!! どう"分からない"のか、どう"っかつくわ〜!!"なのかをも、せめて自分に対してだけでも表明すること。科学だろうか何だろうが希求されてきたので…
poliやKOneさんは、この眼前の現象を実測に観ているわけだし、poli個人としては、写像という説明モデルに帰着する一般化を示した直後から、それが個々で生成されている言語ゲーム上のルールのひとつに過ぎず、突き動かした要素を妄想する。 その他のルールひ…
統計分析の体系化を成し遂げたピアソン、フィッシャー(アーヴィング.フィッシャーとは別人)の、その次の世代、すなわちネイマンとエゴン・ピアソン(ピアソンの息子)のデュオは、この父の世代に彫琢された分析法によって何が言えるのか、そもそもその妥…
東大の21世紀COEの一環の共同研究の成果。 忖度にとどまらず表明を介して工程の前後の意識合わせ・すり合わせを行うという、しばしば日本型の生産モデルとして挙げられる、ここではインテグラル型アーキテクチャと呼称されるこの仕法は、忖度で疲れて留まる…
デリダに強い影響を受けたジャン=リュック・ナンシーは、解釈学的共同体のこの閉鎖性を批判するため「声の分有」という概念を提示している。「分有partage」とは、何ものかが分割されつつ共有される状態を示す言葉である(英語のshareに相当する)。そして…
図書交換会は友人に引っ付いて覗いたものの、空気が薄いので退散。実はその前にとっとと敵前逃亡して坂を下っていた。そこで、お仕事にも跨る2著ゲット。 S.マックレーン2005『圏論の基礎』シュプリンガーフェアラーク東京 岩田宗之2007『組込みソフトウェ…
この独白であろう。なんか抜粋は無粋な気がするのでここではしない。 大抵現代思想の紹介を活発に行っているひとたちは、自分の内奥に触れることに積極的でないのだが、これほど真摯な筆致があろうか。それともこれが身体を思索する者のスタンスということな…
宮台は、システム開発上の設計策定とその診断を担うITアーキテクトの聞き手として、彼が自らのソーシャルデザインの問題意識を近づけつつ、着床させないで論議を展開する。 宮台●【引用者略】社会学者の中にIT系の人が入っていくことは、いまのところ無…
デリダのほうは、誰もが前期後期に分断しているとみなしている、自らの認識論を〝双方とも〟網羅してメディア論を跳梁する。 また、本にっきの初っ端で示した著作において、デリダがナンシーを礼賛したときの視座に繋がってくる。これだけに留まらず、〝パル…
自らがメッセージに込めた意図から逸して伝わってしまった発信者が、その無理解に悶絶している姿がよく現れている。 思うてる以上に伝わりにくいもんなんすよ、お笑いて (映像中の松本人志自身のことば) お笑いだけがこのリスクを背負っているわけではなく…
どっかでみたような、ビチビチとエアキャップのようにタームと数値が増殖する説明体なテキスト。敷き詰めなければ不安だったのだろう、この報告者は。 で。伊皿木さん、この報告に際して『ショアー』。ときたか。 〝彼ら〟が科学的精神に醸し出したその気色…
本書の読みを続行することを躊躇したのは、ある意味、読後、自身の言動が亀の手足のようになることをカッテに恐れたからである。 本書の序盤に置かれた2章はそれくらい、験者を打ちのめすようなテーマである。験者の視座がいかに高踏的な態度を含んでいるか…
もっとも、彼は爆発アタマ先生の前期から後期へ思考が移行した視座にいることを示唆している記述がみられる。著者にとっても、ハーマンも先生もあれかこれかのササラな途のひとつひとつなのだと思う。 私たちからすれば、「痛い」「辛い」「惨め」といった言…
哲学と倫理学とが異なり、考古学と倫理学とが違うということもわかっています。、、、いやあ、じつは過日叱咤して頂いた人にも、それより以前に、やはりこの分野の話をしたとき、 政治家にでも、なりたいんかい!! とつるし上げられました、ハイ。 でも、上…
大庭も、川本隆史も議論の核に置いたであろうカントの主要著作である。ま、今回は特に本編と思いきや、その訳出を行った中山元の解説である。彼は、フーコーの紹介者のなかで、彼の最晩年の対象であったパリーシアステーツの意義に注視する唯一の存在である…
早速、読んでおります。で。ハーマンの箇所。ですが。 電気は、観察する人がどう判断しようと、それとは独立にライデン瓶の反応を引き起こす。しかし道徳的な特性が、出来事の因果連鎖に登場しうるとすれば、それはひとえに、その特性にかんする道徳判断がな…