神成淳司×宮台真司2007『計算不可能性を設計する』ウェイツ

 宮台は、システム開発上の設計策定とその診断を担うITアーキテクトの聞き手として、彼が自らのソーシャルデザインの問題意識を近づけつつ、着床させないで論議を展開する。


宮台●【引用者略】社会学者の中にIT系の人が入っていくことは、いまのところ無理です(笑)。
神成●やっぱり無理ですか。
宮台●大学教員は、国立、公立、法人、私立の別を問わず、補助金助成金を含めた税金で食っています。補助金助成金が保障された組織の中に、制度化された講座があるので、ニーズの有無にかかわらず食えるのです。
神成●【引用者略】
宮台●したがって、社会学に限定して言うと、社会学会は、社会学に関心を持つ人たちの集まりではあっても、社会に関心を持つ人たちの集まりではありません。わかりやすく言えば、社会学言語ゲームを営むのに必要な限りで、社会に言及するのです。彼らは、社会からの直接的要求にさらされることへの、免疫がありません。
【引用者略】
 しかし、だからといって、「閉じ」(【引用者註、「社会からの直接の要求から保護された「閉じ」」】)ゆえに社会に対する観察が免除されるような状態に陥るのであれば、「社会とは何か」「社会はいかにして可能か」を問う学問である社会学は、内実を失います。ちなみに、社会学が社会の側から考慮される機会が消える程度において、社会学は内実を失ったことになります。
 現実社会の全体性とのかかわりに疑念があるとはいえ、曲がりなりにも学界とは異なる「現場」を持つ技術者が集う「社会とITの連携を考える学会」は、学会の視座と社会の視座との輻輳において、社会学よりもマシです。だからこそ、神成さんたちのほうに、社会学者を引っ張り込んで、OJT(オンザジョブトレーニング)を施してほしいと思うのです。
(pp.153-155 ll.7-16, ll.1-16, ll.1-2 太字強調は引用者)
 神成たちITアーキテクトに、3年どころか100年近く胎内にいる社会学者を取り上げてくれ、とお産婆さんとしての仕事を依頼しているのである。神成のほうも、大学も宮台のいうような補助金助成金を含めた税金で食ってきた大学も、いまやその成果を求められる難局が生じてきたことを理解してしていて、だからこそ、〝社会学者のOJT〟という宮台の提案に理解を示す。

 学会の視座と社会の視座との輻輳の内奥も、術の内なる客観化不可能な因子への理解とその因子を孕んだうえでの言語の使用が伴っていて、それこそ、過日のウォルツァーのツボに立ち戻るプロセスを、、、踏んでたらやっぱ時間がもったいないのんかねぇ。


 それから。2組目。
 物質文化での価値判断を再検討する2著。とでもいおうか。