2010-01-01から1年間の記事一覧

関口存男・一郎2005『関口・初等ドイツ語講座 上』三修社

先の意味形態論の集大成を執筆することに専念していた晩年まで本書の吟味にあたっていたようである。(序文に記された年が1956年。彼が亡くなるのが1957年のことである)それだけに意味形態論の説明に仮託すべく関口が選んだ冠詞のうち、本書の定冠詞のくだ…

池内紀2010『ことばの哲学 関口存男のこと』青土社

生業が結構慣れないことばかりで、呼吸するようにしていた読書からも遠ざかっていた。その回帰を促したのが、これである。 バクハツ頭先生vsSondernとかいうチョビ髭男の一騎打ち!! である。本書は、前期ヴィトゲンシュタインと関口の意味形態論をしばしば…

内田百輭1991『第一阿房列車』福武文庫

実は、百輭にとって不倶戴天の敵だったりする関口であるが。。ど〜考えても話題の品はどつこつだろ。本書はすぎし日、谷崎三昧のマンセーを悪の道に引きずり込んだpoli所有の毒物の一つなのであった。

そんなことよりも。。

これでようやく、仙台湾の貝塚群界隈を再び賑やかにして下さるのだろうか。楽しみだぁ。いいや、もうそれは始まっているようだけども。。

岡村道雄2010『旧石器遺跡捏造事件』山川出版社

ある老兎が、それまで性急に陥ることなく亀のように手堅く歩む者を尻目に惰眠をこき続けてきたくせに、「火中の栗を拾う」と気の利いた詞を言った態を気取り十年前の混乱に乗じて突如闖入した。しかし。2,3年かそこいらで、その場を脱兎の如く遁走した。…

言い過ぎたので。ちゃんと、真面目に(本当か?)

市川での保管とか寄贈とか方途をあれこれ腐心してきたのも、結局財政難ということでしょうに。かっこ悪いとかいうもんでもなく、財政難だとはっきり報じるべきではなかったか。 日○協のチキチキ、献本してもろうたけど、実ぁ処分したかったのよね第一志望遊…

でもしかし。

今回のように市川なんて聞いてね〜わとかいうそもそもが見せ方以前であり、これはもはや実も蓋もない現状なんぞ、まったくお手上げ問題外であろう。 これでは先に内定していた、「ちょんまげ展」もとい「ハラキリ展」もとい「ゲイシャ展」もとい「SU-SHI展」…

そもそも。

後者の調査地被害という問題の根底には、アクセスしたい=研究者との距離が"離れて"しまっている、という布置関係にある。 考古学者に限っては そこに、その"場"に、足を運ばなくてど〜するよ!! と言っちまえばよい。(おお。言っちまえばエエのよ!!)ま…

気ぉ取り直して。。。

「あるべき<もの>は、あるべき<場>へ」 これは、文化財返還問題とも共通する、というより表裏一体と言うべきであろう、<場>と<もの>に関する基本原則である。 これを「<場‐もの>倫理則」という。 伊皿木さん2010-09-23記事より 同感である。 とい…

うくらいな?

こんな本を思い出した。 ピエール瀧2001『屁で空中ウクライナ』 ご存知ホラあの軍人顔の、そう土州山内御家中の砲術方溝渕さまのご高著である。分かり難クゥ。。 、 、 、 いや、思い出しただけだって。

そのくせ、

既成の制度がヤなら、まずはそれを緩和する布石はないのかを探る身振りがあるわけでもなく、スパーっと刈り取って0!ナーシ!!みたいな、その身も蓋もなさにコレポチも違和感がないのだろうか。

あ。そうそう

ミーゼスほど制度を意識するオーストリア学派の領袖にむかって、リバタリアリズムの神様のようにほめそやし、ジユ〜じゆ〜と無いものをねだるような論調には、激しい嫌悪を覚える今日この頃。

ま。これも

poliの青みの1かけら。ではありますが、今や汚れたオヤジなpoliは、 とはいえ、前々から触れてはいることであるが、poli自身、制度とというものは政体が占有する持ち物とは思っていない。 2010-02-07の記事 なんてなことをほざきますです。んで、 poliが常…

かの資格制度も、結局"それでしょぉぉぉ"。。

過日、 学芸員は、制度に守られてんだか囲まれてんだか。。。。としたが、モトネタはこれ。 学芸員にしてみれば、正直いくらか迷惑な話。この状況にむしろ今最もふさわしい袋小路にいるのは、あのスケベなMG研のおもちゃ、資格制度をふりかざすカノ業界であ…

いやいやいや。

あれですよ、上のリリックって、 守られてるっつーのも違うし、囲まれてるってぇのはもっと違うわけで。これって 当事者じゃなくて、タダのフリーライダーになってるじゃあね〜の?? って、つっこんでるわけよ。以上、fischeさんにとってみれば、全くもって…

だいたい。

市川某所にあるなんてハナシ、聞いたこともないよ。関東域の専攻生や院生は、知っていれば、無駄足なく済んだのではないだろうか。掘る資格以外にもやるべきことがあった。そういうことではないか????娑婆にケツ向けて研究者にケツ向けて、じゃあ、誰と…

せぇんじつ〜

ちなみに最近の日考協と某連合王国のウサンクサ団体のドンパチに際しては、この中のアーカイブにまつわるetc.が示唆的な感じがする。感じがすると思っただけだって。 といってみたわけだが、そもそもあの問題、こんなもん適用するまでもなく下位で既に論理の…

白石嘉治ほか2007「ネオリベ迷惑を考えるお茶会」『現代思想2007年3月号 特集=笙野頼子』青土社

神々の、遊び。。。 なんつ〜か、その、あの、 組み手みたいなもんすか?これ

野家啓一ほか1997『哲学の迷路』―大森哲学批判と応答 産業図書

そういえば

hazumaにとって、物自体というのも、変化するものなんだね。てっきりヒトがカッテに物自体はこぉだぁぁとかあぁだぁぁって、絶えず蒟蒻問答して蒟蒻ならぬ粘土細工して絶えず形が変質する"物自体のツモリな"仮象だけが"語られ"、ご本尊=物自体はといえば、…

東の否定神学。

というか、hazuma名義で曰ているときの否定神学の語用は、別にその表現が否定でなくても"神学"であるから不毛、と主張している感じ。 吉本隆明が"論争に強かった"のは、神学の側にあって党派性を叩くに終始しているからとかいったのは、呉智英でしたっけ。そ…

以下の"否定神学"

の語用は、あくまでデリダのそれを指す。どうもここで東の語用は、東独特のもののようにも後日思えていた。だから別個で。んで、poliは読み返そう、読み返そう (2010-09-01)

「否定神学への焦点が残されたままだ!!」

とする指摘があるが、そりゃそ〜だろ。そいつのほうは『有限責任会社abc』の後に急展開する話題なのだから。確かに言及はあるものの、もはやそこには絵葉書という導きの糸は消えてしまった状態で語られているし、2大家の視座をも包括しても足らないと東は捉…

デリダほか2005『テレビのエコーグラフィー』NTT出版

ということになろう。ちなみに最近の日考協と某連合王国のウサンクサ団体のドンパチに際しては、この中のアーカイブにまつわるetc.が示唆的な感じがする。 感じがすると思っただけだって。

Derrida,Jacques 1998”Archive Fever”,Univ of Chicago Pr

絵葉書で宙吊り〜宙吊り〜言われている2大家についてのデリダの読みは、やはり上掲の2著でひとまずの着地をしたのではないだろうか。 先のラカン=ジジェクという、"東手製の"補助線を引く直前がまさにこの後者に触れている部分であり、ここでは『アルシー…

デリダ2009『精神について』平凡社ライブラリー

一応ああいうタイトルであるし、

全編にわたって郵便〜, 誤配〜, とまあ譫ごとのように唱えて苦しソ〜なわけだが、結局、『有限責任会社abc』の絵解きに移って、ようやく終局ギリギリに論旨が救済され閉じる。本書はそもそもそんな構造をしたテキストである。

東浩紀1998『存在論的、郵便的』新潮社

浅井田陰とか空桶谷弁人とか、そんなもん身に纏わないほうが、東, デリダそれぞれ主張を明快に分けつつ論旨を展開しやすかったのではないか。 首取り武者もクラインの壷で叩かれずにすんだかもしれないし、 「デリダは、中途半端ではなく、ちゃんと数学基礎…

デリダ2005『名を救う』未来社

これにも明言もないわけだ。 ちなみに。著者様がご執心の『絵葉書』が1980年に上梓、その固執を救った『abc』が1990年、上掲書が1992、つづいて1993に上掲書との否定神学三部作と目される『コーラ』と『パッション』。時系列に置くと、そんな位置関係となる。

でも。

意識を向けてもらいたいのは、こういう来歴・環境に育まれた哲学徒によるテクストのたった一枚のカード=絵葉書のみに本書はあまりにも翻弄されすぎではないか、といいたいからだ。 東自身があとがきで表明する袋小路や、迂回というか難渋ばかりを引き起こす…