2013-12-01から1ヶ月間の記事一覧
それにしても。となるとだ。反対側からはこんな怨嗟の声が?ふほは、違うか、、 古いこの酒場で たくさん飲んだから 古い思い出はボヤけてきたらしい 私は恋人に捨てられてしまった 人はこの私をふだつきと云うから ろくでなしろくでなし なんてひどいアーウ…
今も昔も、リア充の言を聞かされる、あるいは読まされるのは、毒々しい。。。(おい)
文化財保護という権力行政と教育の区別ができなかった、無思想だったのだろう。 う〜む、学校教育ほど、なんだかんだで権力を渇望する環境もないではないか。で、カッテにいがみ合って荒廃し、コンテンツに手が回らずアウトソーシングする。だから自前でやれ…
と、つぶやかずにはおれず、poliは、さらに検見塚へ視線を移す。 自動車道に埋没、累層させ不可視となってしまうのも、消費の作法からなかなかポストできない、超えられない、アポリアな表象。 各自異なる選好によって、思い思いに地所はおろか、空間をも消…
SNSとかいう、全然ネットワークしてない即席カルトみたいなCocoonが無数に転がっている。藤森がみた"グルと弟子たち"みたいな、娑婆っ気ないそういう"ぷち世間"がそこいらに。そんななか、遺跡を体験学習の場にするという。共有地の悲劇における、共有地とし…
いずれも戦前のメッセージである。彼らは、日本考古学の学問としての草創期を経、半ばに至ったところをいた。ちなみに藤森の言にあるH博士は濱田のことである。いわば濱田の作ったこの学問を受けその限界を衝いている、といえる。 両者からは、学問が拙いな…
と、言っても、意図が分からないかもしれないですね。それにしても、風土記の丘。歴史の里。◯◯歴史公園。なんなんですかね。自分で自分を褒めてあげたいヒトの記念物か何かですかね、これは。
"見入る"のも、過ぎたるは毒! になってしまっている。解放という自由の難しさから逃避するために見入っているなら、ほんと毒だね。単系への収束なんて然り。。ひつこい、、、、 ランシエールは上の自著の方が、「アルチュセールせんせいがおっしゃるには、…
梅原末治や金関恕の丸パクリか!!とか言わないように。モノとヒトの関係の結び方。これが、この陳腐に響く染み付いた生活観のようなものが、日本考古学の関心の中心にあって、また先の単系の進展観の誘惑に動揺することなく分析するための基底たるものとし…
LINEはフォネー(声)のre-gainである、という発想がもたげてくるというのなら、安易な妄想であろう。つの丸、というかマキバオーのスキンヘッドみたいなアイコンや写真が飛び交い、明らかに「見る」ことを誘っている営為ではないか。単に2chのlegacy化にみた…
享受者のいないシステムを開発するSEなんて、crazyなアレであろう。違和感の何者でもないのである。
データベース化と目することのいい加減さの、そのいい加減たるところは、使い手と享受者が未分離、というよりもその発想には使い手しか存在しないのである。
この数年、ビッグデータというコトバが独り歩きしている。ここでnoSQLというタームが同時に飛び交い、これを差してRDBMSの後継などと書き立てる向きがあるが、結局のところ、これも単系的発想の帰結に他ならない。升目から層へカタチを換えただけのことであ…
これは2つの別箇の流れを一緒くたにしているという視点もまたある。先の複数性であらわれる群集墳のあり方は、高塚古墳の単独性、あるいは惑星+衛星様のユニット構成の推移からみれば、葬制の世俗化が進んだもの、と見、翻って寺院の建造ひいては大仏の建…
これは周知のことであろうが、横穴古墳、積石塚なるものの特徴として、単独で在ることは皆無ということがある。いっぽう、これに前駆する段階の高塚古墳と称されるものは、単独、または陪塚という、対象よりも小型の複数の墳墓が付属するに留まる。 この背景…
データベース化というプロセスに「推移する」かのような説明を目にした段階で、本を閉じて、屋根裏に投げ込んだ。も〜〜こういった単系的発想には辟易していたからである。単なるブレイク処理だろ、これ。。
ネコという種には、ドラマがある。ただでさえ。そもそも、poli個人、鼻の下の、あのモフっとしたネコ殿の面体自体、思い出すと失礼ながら失笑。。なんなんだあのヒゲの生え方とか!!で。去勢なんて人間様の事情なんてもんが加われば、ますます混迷を極める…