2013-08-01から1ヶ月間の記事一覧

失望の検見塚。人々は去り、別の人々が集り、今日の検見塚ができあがった。

失望の検見塚。人々は去り、別の人々が集り、今日の検見塚ができあがった。 〜前掲のブログ記事、「失望の検見塚、希望の検見塚」より 人々と入れ違いに入ってくる別の人々、この変化。そしてもはやこれを所与とする事態は、枚挙に暇がない。これも、要する…

ああ、まあ。そりゃ。ね。

そういうトコロですよ。そこは。。 彼らのように経済活動を模索する気があるというのことなのだろうか。あんなにそういうことを毛嫌いしてきた畑の面々が、なんでこんな選択をするのか。甚だ疑問なんですけど。 岡本俊朗たちによって、とっちめられたそこの…

久しぶりに目にする。このコトバ、、

脚本でなくて、自身から発露したコトバ、だったわけですね。。。 中途半端な正義は一番の悪。。。 〜南波次郎こと松本人志 サンデルを褒めそやすなら、こっちもアリなんでね〜の、と常々思っていた、至言、である。

細田衛士1999『グッズとバッズの経済学』(第2版 2012)東洋経済新報社

仮に動産として、その先に生じる新たな言分けを、、、環境経済学は議論していたりする。

リンチ,ケヴィン1994『廃棄の文化誌』工作舎(新装版 2008)

ところで、貝塚研究のヒト、こういうのは、読まないんすかね???新装版も出たことだし。廃棄されたモノ、廃棄したヒトの所作。。

村田六郎太2013『加曽利貝塚』同成社

貝塚の成分を説明するような指向が明解な記述は、珍しい。これだけ貝塚が調査されてきて、やっと一般化ってのは、マズイ気がするけどな。。。

、、しかし・・・

これが、 人工遺物/自然遺物の区分けの端緒となったテクストのひとつ である以上、未だその価値を有しているとは思うのだが。。。ま、↓↓これ↓↓が出たしね。ここまで示さないと何を言ってるか分からないもんかいな?。。。ということで。

坪井正五郎1886「東京近傍貝塚総論」『東京地学協会報告』8-4(『日本考古学選集2 坪井正五郎集 上』(1971. 築地書館)pp.106-125)

東京人類学会雑誌3-29(1888)に「貝塚とは何であるか」、として再録されたessayである。近年では、北区の中里貝塚調査の際、一時引かれたことがあったかもしれない。だが。遺物・遺構論のcontextで省みられたことは? な〜い!!

、、しかも

あーあーあー、、伊皿木さんが引用しているように、、 貝塚を例に出しちゃったよ。 、、最もそういう話題の例示には向かないもの混沌、モンスター、そんなヤツ!!だなんて、なんで分からないかね、、、、、、、こういうヒトには、そして伊皿木さんの違和感…

最近の定理。

定理を語るなかで最も新しい、というイミで最新。ということで。ただ、新しさはないし。そこにそんなに拘泥することは 身には毒だよなあ、 と、、 、 、 、

稲田孝司1986「縄文文化の形成」『岩波講座日本考古学』6 変化と画期

かつて、この文中に入っていて、草創期から堅果類の割合の上がる過程をイメージすることができなかったのだが、上記の細石器−中石器観があれば、幾分スムースに近づけるのかと。。。

Clarke,David L.1976"Mesolithic Europe:The Economic Basis ",1979"Analytical Archaeologist"ACADEMIC PRESS

Binfordと並ぶ、プロセス考古学の領袖と我が国で紹介され、Hodderがこの下から発したというキーマン、Clarkeのessayである。その本文(本書では、pp.216-217)の見開き。こういう編集を意図的にしたのだろう。。我が国の細石器の復原例は、この216ページのほ…