D.サルツブルグ2006『統計学を拓いた異才たち』日本経済新聞社

 統計分析の体系化を成し遂げたピアソン、フィッシャー(アーヴィング.フィッシャーとは別人)の、その次の世代、すなわちネイマンとエゴン・ピアソン(ピアソンの息子)のデュオは、この父の世代に彫琢された分析法によって何が言えるのか、そもそもその妥当性は何を持って定めるのかを整備しようとした。
 彼らが有意性を検断しようと俎上にあげるのが、先の巨人フィッシャーによるp値。を計算するための仮説、である。


 数学では、具体的な概念に明確な名前を与えることで思考が明快となる。そこでフィッシャーのp値を計算するために使われる仮説とそれ以外の可能性のある仮説とを区別するのに、ネイマンとピアソンは名前を付けた。検定されるべき仮説を「帰無仮説(null hypothesis)」、それ以外の仮説を「対立仮説(alternative hypothesis)」と呼んだのである。彼の公式において、p値は帰無仮説を検定するために計算されるが、対立仮説が実際に正しいと仮定した場合にはp値から検出力が求められる。
 このことからネイマンは二つの結論に達した。一つは、検定の検出力はその検定がどれほど優れているのかの尺度であることだった。つまり、二つの検定のうち、検出力のより大きいほうの検定を使うのが、より適切なのである。もう一つの結論は、対立仮説のの集合をあまり大きくすることができないということである。データの解析者は、そのデータが正規分布から得られた(帰無仮説)か、もしくはそれ以外の可能性のある分布から得られた、とは断定できない。すなわちそれは、あまりにも対立仮説の集合が広すぎて、可能性のある対立仮説すべてに対して強力な(検出力の大きい)検定というものは存在しないからである。
(上掲書 p.137 ll.3-15)

 と、まあ確かに有意性との戦いをしてきた経緯は確かに存在するものの、やはり彼らだって、"囲われた内部には外部を伴っている"ということの配慮はあるのだ。このテの主張に対するよくある反論として、「対照実験できないのが、遺跡遺物でしょう」というのがあろうが、再現不可能で対照実験できないといえば、この反論になると多寡をくくる温床にしか映らない。遺跡遺物が反証として襲いかかってくるということだって、過去いくらでもあったのだから。しかし、これに際しどこか脆弱な対応をするような神経が、あのねつ造を生んだのではなかったか。(ちなみに無視をするなども、脆弱性のひとつの表出であることは36人の何人かに現れている一類型ではないだろうかあ。「具体的には?」なんてことには答えかねる。