2011-01-01から1年間の記事一覧
サンデル先生辺りはこういう存在をどう説得するのだろうか、、、、、ウ〜ム。どうでもええ!!
ホッブス以降、フランス革命前後にルソーだのロックだの社会契約の見解が多出する中で出来した異形フランケンシュタイン【弟】とか、ゴーレムとかこそ、このマルキ・ド・サドである。革命へと至る自と他が犇めき合うクソ煮込みがクタクタクタクタ、、、と沸…
考古学におけるヒトと自然というと、poliは岡本勇を引いてきた。ヒトからみた自然という"圧倒的な他者"。
サブロフというと、『アメリカ考古学史』(学生社 1979)の著者であり、当時それを期待して購入(確か神田のゾッキ本だったかと)。10年は経過した積ん読。。。。 なぜいまになってこれか、といえば、枕下書の主人公であるウォルター・テイラーの事績を示し…
とき、だいたい、これがガンガン鳴っている。
artonさんの推奨する本書は、JavaScriptというともすれば目的を見失うほどにカルい言語にひとつの指針をあたえているし、テスト駆動の入門としてもよさげなので自腹を切ってみた。切ってみたが、あんまり批評が出てなかった。と、ここでartonさんだったので…
artonさん。Ruby256倍の文体を決定づけた重要人物。(って認識は過去か、、)poliが頻繁に文字を大きくしたりいたりっくにしてみたりするのも、この業に憧れたから、、、ではあるが。真似するのは、結局劣化コピーを生んでいるだけ、やもしれず。
ホントすまそ。にしても。。。 過日触れた思索の環の柔軟な広がりと、TPPのようなチンマイ思索モドキと。なんでこんな跛行的なのか。。。。。これを埋めるところに公の存在意義があるのだろうに。政治家が悪いだの、官僚が悪いだの。。両方至らねんだよ、呑…
目下、登攀中。。。 前二者は、敬遠してきた田邊元の著作。青山光二『われらが風狂の師』(1987 新潮文庫)やこれの「梅原末治論」の田邊評から、悪玉と決めつけていたからである。んな、偏見があるか!!。西田哲学に遭遇する前から、科学哲学の嚆矢となる…
どう理屈こねても、カンディードもマルチチュードも、二次元な二枚目サン 〜poliのツイート、、 純粋に、ただの醜男のやっかみ。。。にしかなっとらん。反省の意味を込めて、、 (少しだけなっ!)
これが積んどくなので、ちゃんと読みます。>> fischeさん。
赤い旅団。果たして、これを、三枚目と言い切れるのか。。。自信ないわ〜 (クラッシュの某氏。ミュージシャンてズル〜)
何年経とうがこの人の唄はこの人の唄になってしまうわけね〜。 も〜ホント、エレキなguitarに敢然とギリギリギリと切り結ぶ浜崎直子のVocaにどれだけ溜飲が下がったかなんじゃあ、そりゃ、、、フォークな音に寄っかかるpoli。。。。でもそんときと同じだ。。…
前項のfischeさんによって引かれた「風土記の丘に豚を放て!!」とは、 これのことである。 岡本俊朗1971「"風土記の丘"に豚を放て!!」(『見晴台のおっちゃん奮闘記』(同刊行会, 1985)所収)
少なくとも、、脱構築は、大学=善、自治体=悪という腐臭に満ちたベタを消臭するがために施す鼻薬では断じてない。こんな用法をなすから蒙昧主義とかいう誤解に押し切られるのだ。Bad Tasteである。
地権者が残す気がない!ということではなかったでしたっけ。自治体がどうとかこうとかというのが娑婆の事情の全てとするとは、随分と予定調和なことで。。
条件なき大学を読んでいて、改めて思うのは、彼が世間を介して思考している事柄は、自己固有化やら再固有化、あるいは公共空間への準拠だの、と、まるでFreeだのShareだのMeshだのといった近年の"あらたな所有論"へと開かれているように思う。
デリダ、社会に出る。の2著。『法の力』(法政大学出版局 1999)から一歩外へ出る。行為遂行の言語哲学と、三つの試論などみずからの言説を携えて。それにしても。これだけ行為遂行をナメナメと。そりゃサールも音を上げるわな。
可能性の中心のヒトとか、やたら否定神学を多用するシャクレさんとか、当初は説明するための方便であったのが、主旨に昇格してしまっているから読者は大混乱である。だから物自体まで「オレは変化を見たぁ!!」となってしまうのではないか????
Derrida2006"Specters of Marx"Routledge 亡霊!マルクス本人も口走っちゃっているからって、また揺さ振るね〜。。。
(((マルクス主義)の可能性)の中心)とかいうのがあるわけだが、 せっかくの可能性が中心で帳消し(cf.すきのはんたいのはんたい)で、残っているのは元の(マルクス主義)じゃねぇか?
否定神学と自身の方法論モドキたる脱構築との差異をこの三つの試論をもってようやく成すに至った、というものである。前者は、神という不動点の一者を培地に論旨を展開する。しかし名という可能性(=動点)を培地に時には行為遂行だの出来事だの複数性だの…
poliが読んだ感じでは、これが最もアテにならないので(2355の石澤典夫風味で) 脇でHite-Shingaku!!とうるさいので、脱構築とかいうウワバミがその否定神学 を呑みこんでしまった、というおはなし。 、 、 、 良き夢を。(こらこら)
過日、否定神学三部作の最終作とかpoliが言っていたが、デリダ自身は、 ひとつの与えられた名についての三つの試論 と、前書きに明言している。
ウォルター・テイラーの評伝。アイスランドの噴火活動でamazonが大混乱し、そのドサクサで一方的に注文がキャンセルされるも、その1ヶ月後シレっと在庫ありになっていた代物。何んナン?。歴史学でもない人類学でもない考古学は考古学。テイラーは両者の振…