2010-08-01から1ヶ月間の記事一覧

白石嘉治ほか2007「ネオリベ迷惑を考えるお茶会」『現代思想2007年3月号 特集=笙野頼子』青土社

神々の、遊び。。。 なんつ〜か、その、あの、 組み手みたいなもんすか?これ

野家啓一ほか1997『哲学の迷路』―大森哲学批判と応答 産業図書

そういえば

hazumaにとって、物自体というのも、変化するものなんだね。てっきりヒトがカッテに物自体はこぉだぁぁとかあぁだぁぁって、絶えず蒟蒻問答して蒟蒻ならぬ粘土細工して絶えず形が変質する"物自体のツモリな"仮象だけが"語られ"、ご本尊=物自体はといえば、…

東の否定神学。

というか、hazuma名義で曰ているときの否定神学の語用は、別にその表現が否定でなくても"神学"であるから不毛、と主張している感じ。 吉本隆明が"論争に強かった"のは、神学の側にあって党派性を叩くに終始しているからとかいったのは、呉智英でしたっけ。そ…

以下の"否定神学"

の語用は、あくまでデリダのそれを指す。どうもここで東の語用は、東独特のもののようにも後日思えていた。だから別個で。んで、poliは読み返そう、読み返そう (2010-09-01)

「否定神学への焦点が残されたままだ!!」

とする指摘があるが、そりゃそ〜だろ。そいつのほうは『有限責任会社abc』の後に急展開する話題なのだから。確かに言及はあるものの、もはやそこには絵葉書という導きの糸は消えてしまった状態で語られているし、2大家の視座をも包括しても足らないと東は捉…

デリダほか2005『テレビのエコーグラフィー』NTT出版

ということになろう。ちなみに最近の日考協と某連合王国のウサンクサ団体のドンパチに際しては、この中のアーカイブにまつわるetc.が示唆的な感じがする。 感じがすると思っただけだって。

Derrida,Jacques 1998”Archive Fever”,Univ of Chicago Pr

絵葉書で宙吊り〜宙吊り〜言われている2大家についてのデリダの読みは、やはり上掲の2著でひとまずの着地をしたのではないだろうか。 先のラカン=ジジェクという、"東手製の"補助線を引く直前がまさにこの後者に触れている部分であり、ここでは『アルシー…

デリダ2009『精神について』平凡社ライブラリー

一応ああいうタイトルであるし、

全編にわたって郵便〜, 誤配〜, とまあ譫ごとのように唱えて苦しソ〜なわけだが、結局、『有限責任会社abc』の絵解きに移って、ようやく終局ギリギリに論旨が救済され閉じる。本書はそもそもそんな構造をしたテキストである。

東浩紀1998『存在論的、郵便的』新潮社

浅井田陰とか空桶谷弁人とか、そんなもん身に纏わないほうが、東, デリダそれぞれ主張を明快に分けつつ論旨を展開しやすかったのではないか。 首取り武者もクラインの壷で叩かれずにすんだかもしれないし、 「デリダは、中途半端ではなく、ちゃんと数学基礎…

デリダ2005『名を救う』未来社

これにも明言もないわけだ。 ちなみに。著者様がご執心の『絵葉書』が1980年に上梓、その固執を救った『abc』が1990年、上掲書が1992、つづいて1993に上掲書との否定神学三部作と目される『コーラ』と『パッション』。時系列に置くと、そんな位置関係となる。

でも。

意識を向けてもらいたいのは、こういう来歴・環境に育まれた哲学徒によるテクストのたった一枚のカード=絵葉書のみに本書はあまりにも翻弄されすぎではないか、といいたいからだ。 東自身があとがきで表明する袋小路や、迂回というか難渋ばかりを引き起こす…

ま〜、、確かに。

この絵葉書という道具立てがデリダ自身のお気に入りであったことは、その後訳出された、、、

こういうところは、

かつてテル・ケルに属していたデリダのもう一つの貌といえないだろうか。 テル・ケルが意識したであろうウリポ工房のイタロ・カルヴィーノやジョルジュ・ペレック、特定のグル―プに属していたかは知らないが、ミシェル・ビュトールもテキストを編むために、…

デリダほか2008『言葉を撮る』青土社

の映像部分からも伺うことができるが、彼がきってきたカードはこれだけではないし、上掲書近くに上梓された『パピエ・マシン』にても、あれかこれかとカードをきっているではないか。

ちなみに。。

さらに『アーカイブ酔い』に関していうと、その思索の成果を試す彼の言説を活写しているのが、度々引き合いに出す、スティグレールとの語らい、、

佐藤健二1987『読書空間の近代』弘文社

柳田國男『山の人生』(poliはこれで)とともに紹介されていた。他に本書の評を目にしたことはまだじつはない。多分この佐藤の文脈があまりにも刺激だったからだろう。

M.フーコー2010『ピエール・リヴィエール』河出文庫

へとへとな生業の帰り、えきなかで。名前を見、ハナが出そうになった。でも旧版が1995年にでてたのね。。。。性格上訳出は、現代思想の部分訳だけで留まると思っていた。

そういえば。。

poliの地元の吉井貝塚を形成した縄文時代早期の人々も、礫器にホルンフェルスに使うのは、割に小ぶりなものに収まり、大型の種は、地元の石質である、緑色岩、玄武岩など第三紀由来のものを選択している。

ぢつは。

御坊が帰路ぎりぎりに大暴走してこの沢井川の河原に突撃したがために「まてマテまて・・」とpoliも河原にでてみた。すると。あるわあるわ。千枚岩も砂岩も。千枚岩は炉の縁石にも用いているようで、どうやらこの地の利に適った使用ということになる。目の前…

というわけで。

ここは沢井川のほとりである。この川を臨むテラス状の広大な台地上の一角が現場である。今回千枚岩の礫の凝集が検出されている。被熱の顕著な部分がみられないのだという。この石質の石器としては、打製石斧が出土している。相模川東岸ぐらいまで下ると、ま…

安心。できなかった

poliがその帰路、板尾好き君がまた例によって時間きっかりに始め、時間きっかりに終えたことをひとりフムフムと感心していたところ、 うん、あのヒトぐるぐる(調査区を)まわりながら、何度も腕時計見てたね。と、御坊。 うあああああ、見られてたぞキミぃ…

安心した。

でも、30分経過して、御坊が飽きて赤トンボを追いかけ始めたときは、ほっとした。 えがっだぁえがっだぁ、気のせい気のせいだぁ〜

が。しかし。。

現場に着いた途端、御坊はいきなり一番調査区が見やすい場所に鎮座し、凝っと見始めたのである。 何こいつ、怖っ!! で炎天下30分ほど、凝凝凝凝凝凝凝凝凝凝凝凝。う〜む、なんなんだ。

この現場ならヴァ。。

こんなクソ暑いなか、こまかぁ〜いおシゴトをしているのを目にすれば、そしてその調査責任者は、日本の考古学者で1、2を争う難解な説明を緻密に行う"術者"だから、音を上げること間違いなし、しめしめ、ムフフと、多寡を括っていた。

なんか勘違いをしている。。

ということで、丁度板尾好き君が今年も格闘している現場の説明会をしている、ということなので、これでも連れて行って、灼熱地獄で懲りてもらうか、と同行させることにした。

それと。

おいそこのマンセー、おめー"ヨロシクお願いします"ってそりゃ〜何なのだ??

それにしても。。。

発掘の旅というのは、何だ御坊、それは武者修行かなにかかね?

こんなメールが来ていた。。。

このT崎マンセ〜から。 uzi-SMGが二人で、発掘の旅にいってみたいと、今年の夏休みの計画を熱く語ります。すんません。。お願いしまするー好き嫌いありません。 体力も根性もあります。 学校立て替えの為オソロシイ程夏休みヒマです。 どうぞヨロシクお願い…