2006-10-01から1ヶ月間の記事一覧

くどいようですが、

ま、コテブロですから。だれもかれも仲間ウチの隠語でヘラヘラ話している、とは申しません。しかし代弁する位置を担う立場にそういう輩があまりに多い。嘆かわしい。そう申しているまで。 現に呉智英も橋本治も、そういった糖衣に引き籠もる輩とは別格である…

廣瀬鎮1972『博物館は生きている』NHKブックスジュニア

fischeさんが北名古屋市歴史民俗資料館の展示から「回想法」プログラム、というべきものを注視している。 そして、ここの活動を特徴づける「回想法」プログラム。博物館が求め、求められ、さらに求めていく、求められていくであろう、さまざまな関係の項を整…

竹内郁雄・大澤真幸1997「第十二対話 地球村のパラドックス」『新科学対話』アスキー出版局

先日、『1968年』のばかばかしい記述に辟易したわけだが、何が馬鹿馬鹿しいかといえば、グローバリゼーションの尖兵を気取る一方、自分たちの同類が、2007年問題とか何とかいってこの数ヶ月TVの前にあらわれ、「自分たちの世代は、他の世代に分かってもらえ…

戸沢充則1995「縄文時代論のもう一つの視角」『縄文人の時代』新泉社

考古学において、学ぶべき対象:遺跡,遺構,遺物にランク付けする、というのは躊躇を覚える。たてまえはね。以下にひとつの〝身振り〟の二つの在り方をとりあげる。 明治二九(一八五六)年五月、内務省に古社寺保存法が設立され、明治初期の廃物毀釈などで荒廃…

上原真人1997「第一章 年代を読む」『瓦を読む』歴史発掘11 講談社

橋本正ほか1976「大沢野町直坂Ⅱ遺跡 発掘調査概要」富山県教育委員会

ブロック、ユニットにテンテコマイで済んでいたのがまだマシだったというかなんつ〜か。最近はスポットなる語句もある。とか。上の概要報告は、二者をそれぞれ報文というシチュエーションにてどのように語句を使用しているのかを表す例というべきかと。いや…

月見野遺跡群調査団・明治大学考古学調査団1969「概報 月見野遺跡群」(1985『大和市史』7資料編考古に所収)

トートロジーとは違うとは思いますけんどもね。

トートロジーはイカン!!とひとにセッキョ〜しておきながら、ほざいた数年後に、粗製土器から粗文帯土器へという、もろトートロジーな〝模範演舞〟を見せた研究者をpoliは知っている。あまりのボケッぷりに、 てめえはパンクロッカーか!!自己破壊上等なの…

スガ秀美2006『1968年』ちくま新書

シャケみたいな字は文字コードにないんだから、本名の〝菅〟にとっとともどしやがれ!!手間なんじゃ! 資本主義理論のひどい解釈が出現。宇野弘蔵が化けて出るね、こりゃ。グローバリゼーションは、おたくらの恵みの雨か何かなのかえ?リカードの「比較生産…

大月隆寛2004『全身民俗学者』夏目書房

三中さんにすっかり呆れられたpoliの一ボケに登場されたアノ人物は、10数年前、大学時代のpoliにとって、ヒーローな研究者像であった。「エ〜あんなだまし絵みたいのがぁ?」だまらっしゃい!!最前から暴言にも甚だしいんだよpoli 浅羽通明が、ニセ学生マニ…

佐藤健二1987『読書空間の近代』弘文堂

大月隆寛1992『民俗学という不幸』青弓社

小川徹太郎2006『越境と抵抗』新評論

西村正衛1960「利根川下流域における縄文中期文化の地域的研究(予察)」『古代』第34号 早稲田大学考古学会

早稲田の考古学にて、教育学部の西村正衛そして金子浩昌の学統は、清水潤三あるいは鈴木公雄の慶応大学と競いつつ、戦後の貝塚の研究を牽引し続けてきた。その影で、自然遺物の分析の精緻化が頗行的に進展し、人工遺物への考慮の希薄化を孕んだ学風が出来し…