2007-12-01から1ヶ月間の記事一覧

こうしたことを考えるのは、目下、

地代から出発してまた持続的発展とかいって、地代の魔性に見入られようとしている文化経済学のアポリア 異時系列のコンフリクト、ま、世代間倫理とはヒトはいうのだろうけど、どうもそういう現れ方だけでない衝突 とかを想起するからかもしれない。

ま。もっとも。

両者が独立していようが、poliがカッテにもどかしくなっていようが、全く関わりなく同じ"地"に在った、または在るのである。しかも、かような選択を取らざるをえないというのは、地"縁"としてみるという、ひとつの擬制に刷り込まれている、との誹りを受けか…

荻野昌弘ほか2002『文化遺産の社会学―ルーヴル美術館から原爆ドームまで』新曜社

これ読んでいると、ますますそう思う。なんかどんどん滑落するような読書だな、poli。おう、まったくだ!!

ジョセフ・L.サックス2001『「レンブラント」でダーツ遊びとは―文化的遺産と公の権利』岩波書店

2.にあたるのは、これのユダヤ関連施設に撤去された、自由の女神をあおいだ両腕のオブジェの話。 1.にしても2.にしても、答えなどどこにも転がっていないからなのか、意識的なのかは知らないが、等閑視されているようなきがする。

デイビット・スロスビー2002『文化経済学入門―創造性の探究から都市再生まで』日本経済新聞社

1.にあたるのはこれの序盤の価値の模索。

かようなpoliの不埒な筆先であるので、

あまりここにコメントするのは、まったくもってKuuki ga Yomenaiであるとは思ったのだが。 12/19のにっきにて、悼む態度の差異が語られていた。そのなかで、 18日の告別式の弔辞は、「アイ子さんのいない網走はさみしい」でした。もはや、そのようにしか言え…

ともあれ。

羽入の前著からしても、あの大権威が肥大させたような"一点なにがし"のような代物に終始したものとは、その語り口から、どうしても思えなかった。でも読者のなかではそう捉えてぎゃ〜ぎゃ〜ホザくのが、またでてくるのだろね、と思ったら、あんな上のような…

羽入辰郎2007『マックス・ヴェーバーの哀しみ』PHP新書

しかし、それにしても。 同じことに触れながら、これほど捉え方がネガ/ポジ分かれた二者もない。そんなにかみさんがこわいのか、羽入辰郎。こらこら ただ。 山之内のそれにしても、今回の羽入のそれにしても、社会を語る者において説得力をもつものは、その…

山之内靖1997『マックス・ヴェーバー入門』岩波新書