I.カント2006『永遠平和のために/啓蒙とは何か 他3篇』光文社文庫

 大庭も、川本隆史も議論の核に置いたであろうカントの主要著作である。ま、今回は特に本編と思いきや、その訳出を行った中山元の解説である。彼は、フーコーの紹介者のなかで、彼の最晩年の対象であったパリーシアステーツの意義に注視する唯一の存在である。(ま。研究者はいるのだろうけど、中途半端なpoliには見つけられないのだろうね)。このパリーシアと、カントをリンクさせている。その序盤ともいえる啓蒙とは何かのカント自身の執筆背景を説明する中の、外で学んで戻ってきた洞窟の住人のプラトンによる比喩による、啓蒙するということの構図である。


外にでて真理をみつめてきた哲学者は、洞窟にもどって仲間たちに真理を伝えようとするが、明るい場所から戻ってきたために暗闇に目がなれず、仲間たちよりもよくみることできない。そして暗がりの中で躓いてしまうほどなのだ。そんな哲学者の言葉に仲間たちは信を置かず、反対に嘲笑するだけなのである。
(p.286 ll.4-8)
 この構図、偶然にも、第1と第2で緊張関係を保ちつつ思考を続ける伊皿木さんの構図、んでもって、このはてな開始当初から、

AとBとを行ったり来たりをヤメ〜!!グルアアアア!!

さいきんはパワーいるねこれは。いやいや言ったのはオメ〜だろと、poli公の構図ともなにやら重なってくる。明るさの世界(観)にて真理を求めた哲学者は、暗さの世界(観)に暮らす仲間にそれを説明しようとしたが、暗さの世界(観)の慣れ=認知を忘れてしまったのだ。二つのルールをリンクさせる術 = 暗闇に慣れて、そのうえ明るさの世界で見たことを語る術をもたない限り、彼は説明できないわけだ。