2007-06-01から1ヶ月間の記事一覧

もとに戻ると。

かような彼らの脱商品化を上記の相対化の不全、とみるなら、パートのセーフティネットの均等化に対して、疑問の声のヴォルテージが割に高くないこの状況も、実は同根であろう。企業というものが何で存在して、企業にとって雇用するというのはどういうことか…

見方をかえてみよう。

しばしば木村衡さんの話題をするpoliであるが、彼が企画展「縄文時代の環境問題」を企画する過程でいろいろ話を伺ったなかで、縄文に還ろう!『エミール』でもあるまいに、みたいなことをいう持ち上げ方への違和感を表明していた。poliも昔からそういう反動…

『Vol』2 以文社

すでに入手していたものの、前の件もあるし、なんかね。 でも、前にも増して、微温的なんだよね。案外。 労働倫理的反論(別の箇所にて、「労働倫理にもとづく「働かないのにお金もらっていいの?」感や「働かざる者食うべからず」説」と説明。以上、引用者…

ベーシックインカムのwikipediaの記述の底本となっているのは、うわ〜、で、でた〜。

ま。もっとも。

個人の思考の対峙(衝突かどうかをともかく)と、個人の占有では済まされないような仕事をしているのとでは、忖度だの無視だの表明だの、と持ち出す以前に、 地続きな構図ではね〜んじゃあねえの。 と、中二病で大人げない小日本人(おい)poliでさえ思う。 …

十字軍?

コメントしたご本人はともかくも。ですよ。(だって、ホントに向こうで仕事しているわけだから。) こっちに関しては鹿鳴館建てて、毛唐にへ〜へ〜してあさっての方面の人々に当り散らした、そ〜そ〜、あの志道聞多ちゃんのできそこないのまちがいじゃね〜の…

論理と論理の正面衝突だと????

寝言は寝て言え。アッチに理想郷がなければ、ソッチに理想郷かよ!!オサムちゃんにも甚だしい。 それだけじゃね〜だろ。アメリカの文化財の状況が正面から衝突できてさえいね〜ものが目白押し、つまり ろじかるろじかるっ!!え?それって、もしかして『らじ…

藤本隆宏ほか2007『ものづくり経営学』光文社新書

東大の21世紀COEの一環の共同研究の成果。 忖度にとどまらず表明を介して工程の前後の意識合わせ・すり合わせを行うという、しばしば日本型の生産モデルとして挙げられる、ここではインテグラル型アーキテクチャと呼称されるこの仕法は、忖度で疲れて留まる…

忖度か無視かではない。

忖度か表明かである。 日本社会下における忖度と表明を制御する仕法があるとすれば、ベタながらここに示されているものだろう。論旨が読みづらいだろうから引用はなしヨ、、アフォか

オデ、忖度し通しで疲れたましたんで、も〜忖度なんてしまちぇ〜ん!!

それも世の中通らね〜だろが!!バリバリ甘えだろ!! そもそも毛唐社会=現代生活って、世間エライ狭メ〜!! 現場も、現場から足を洗って、生業を異にしているpoliとて、忖度から逃れられるなんて、考えたこともね〜。そもそも、 忖度だけではただのセンズ…

あ!そうそう

fischeさんの示した、悪(=興味どころか、忌避の表徴)を善の体系から視るために標本または博物館を媒介とするジョバンニの構図は、まさに最前の俯瞰の構図の一側面、なのかもしれない。

ちなみに。

上掲部分の直後、今野はこうも言う。 ペヨトル工房をだれも必要としていないのだな、という覚悟は、ボクの気持ちを楽にした。必要とされていると考えていたこと自体、思い上がっていたのかもしれない。しかし、まだ出版をやめるつもりはなかった。休止宣言し…

西野嘉章2004『マークダイオン[驚異の部屋]講義録』平凡社

ハーシュマンは、先日触れたアダム・スミスたちの例示を介しつつ、私有の涯に失望を得て、これへの斥力たらんかのごとく、公の場に何かを求めていく、つまり私有への反作用としての公共財の出来を語る。 西野は、モノトーン化された関心の集合が、モノトーン…

A.O.ハーシュマン1988『失望と参画の現象学』法政大学出版局

今野裕一ほか2001『ペヨトル興亡史―ボクが出版をやめたわけ』冬弓舎

ペヨトル工房を率いてきた今野は、その19年の活動の休止を宣言するイベントの2カ月間の感慨のなか、以下のことを述べている。 本の買われ方が変わったのも如実に体験した。イベントが続いた二カ月のあいだ、自分の作った本とお客さんの関係を見ていると、い…

レーモン・ルーセル1987『ロクス・ソルス』ペヨトル工房

ちょっと、フライイング気味に引用。 もちろん私とて売れなくていいと思っていたのではなく、「自分が読みたいような本を、大勢の人が読みたいと思っているだろうな。『ルーセルの本を出してくれてありがと』って思った人が私のほかにいないハズがない!」と…

ペヨトル工房のもと読者poli(中学期〜浪人期)

poliには、もと腐れ文学少女であった(たぶん腐女子より質が悪い)姉が一人いる。仮りにT崎マンセ〜とでもしておこう。T崎とは、そうあの映画化するとそのほとんどが単なる成人映画と化してしまう悲運な、そうあのコスプレ野郎なエロ作家のことである。言い…

杉村廣蔵1942『経済学方法史』理想社

のお出ましか。

A.スミス2005『法学講義』岩波文庫

でもって、その2著への通底した読みを行った日本人のひとり、の、

A.O.ハーシュマン1988『失望と参画の現象学』法政大学出版局

誰もが知るように『諸国民の富の性格と原因についての探究』と題された彼の大著は、いうまでもなく、より大きな富の獲得とその目的を推進する上で必要な経済政策とを主として扱っている。その本の「序」で彼は、「悲惨なまでに貧しい」「野蛮国家」と、最も…

アルバート・ハーシュマン。

複眼的な発想の持ち主であることは、 伊丹敬之2001『創造的論文の書き方』有斐閣 この仮想対談に、嫌ってほどに語られている。ただその成果物を目にする機会を得ていなかった。で、過日挙げた独白録を皮切りに入手して読もうとした。 う〜む、 まさに、Polit…

ポリボコ顛末・拾遺

FぢYくん、あいさつそこそこになってスマソ。しかしお前さん。コモンズから飛び出てきて、一分もたっていないのになんでアノ位置にいたんだ・・・・何を急いでいたんだ?????poliドン引きだわ。

J.ナンシー, J.デリダ, M.ブランショほか1996『主体の後に誰が来るのか』現代企画室

デリダに強い影響を受けたジャン=リュック・ナンシーは、解釈学的共同体のこの閉鎖性を批判するため「声の分有」という概念を提示している。「分有partage」とは、何ものかが分割されつつ共有される状態を示す言葉である(英語のshareに相当する)。そして…