2008-01-01から1年間の記事一覧

非常に不思議なのは、、

ナンシーなりデリダなりが共有する自然と認識のあいだという界があるわけだが、その先行者がいるのだとすれば、直近としてはカントがいるわけである。対立者を自認したフッサールはともかく、2人ともその言及にそのカントの名すらそうそう上らないのである…

そういえば、

黒い山のヒト誤用?ああわあってるよ。。でも近況は正に←←←これだろってばよっが、、近年、現象学に接近した模様である。ま。その衝動?はともかく。ただ訳出しただけかもしれんやろし。そのムーブメントを開闢したフッサールの出発点は、まさにこの数え上げ…

と、みるならば。

じゃ、「切れ目は?」ということになる。「離散的な性質をどこから見出せるのか」という言い方も。また、できる。逆に。仮想された各段階の並び、という"含み"を持たせている以上、同時にそのデータ構造として、離散数(列)の形態を帯びていると仮想してい…

野崎昭弘2008『離散数学 「数え上げ理論」』講談社ブルーバックス

{型式の細別 | 一型式(=実数の包含する数>)内を仮想された各段階の並び(=自然数)と一対一対応せんと分けようとする営為}

デーデキント1961『数について―連続性と数の本質』岩波文庫

おことわり。。

よく、土器論に対し、万事が万事分けすぎではないかと言えば批判したった、ヒハンしたったぁぁぁ!と満足している輩がいるが、poliはそんなもんには断じて与しない。但し。 だからって10細別するのは確かに過度だとは思う 一型式=○○年とかいうことを盲信…

方法を当て嵌めるのは、二の次に、

現地歩くほうが適法が見つかるのがはやいんでね〜の?いう話である。 ふあっ!無責任なっ! いやいや。文化の節合なんてソチラの一方の老大家が示唆したように文化を視るのなら、節合されたグラフとして残された痕跡の一片一片を拾うことでその"節"を解きほ…

それからそれから。

今回の会場からさらに東にある某湖を取り巻く諸所というのは、トヨタに限らず往年の関東某所の旗本領のような入り組んだ企業の"領有関係"を成しているし、秘境駅マニア垂涎のフィールドと化している鉄道が現存しているのも図らずもこの状況が支えているとい…

それから。

カルスタ=ガイコクジンばかりだからといって、カルスタ=みゅ〜じっくという安易なのはどうなんだ?アレは、大阪や東京(高円寺フォーク伝説!!)のフォークのように、特定のキーパーソン=ヒトがたまたま出来して生じた偶発ちゃうんか?たとえば誘致とい…

でもでもやっぱり、言いたくなる。。

下町兄弟の顰みに倣えば、 なりたくたって、ギルロイなれな〜い!! 〜下町兄弟「まね+まね=まね」より。但し、引用者一部改変。 そもそも伝わらないじゃないの?Giloy本人からにじみ出てきた視点にあるものをそうそう鵜呑みにするのは、ね。Giloy…

伊藤守ほか2004『文化の実践、文化の研究』せりか書房

片や2007年名古屋、片や遡って2003年早大での記録集。このムーブメントについては吉見の詳説アリ(但しpdf注意!) でもやっぱり。 対象よりも自らのパラダイムの実験に重きを成す意識が抜け切れてないのではないか。そうそうトグヴィルが何人も現れる。とい…

鶴本香織ほか2008『トヨティズムを生きる』せりか書房

とある講演が行われた企画展

横浜市歴史博物館 特別展 「縄文文化円熟―華蔵台(けしょうだい)遺跡と後・晩期社会―」 10/04(Sat)〜11/24(Mon) 【了】講演会「海辺の生活と精神文化」10/26(Sun)13:〜16: 定員 170名 参加費 600円 「東京湾の東と西〜その生業と文化交流〜」 忍澤成視(市原…

。。。上の件はともかく。

まっとうな考証的視点というものがあるとするならば、先週末行われたとある講演で示されたような営為ではないだろうか。ここで示された調査所見の考証のような、遺構論をこそ活発に行われるべきであるのに、自らの調査の精度がばれるからイヤなのか、概ね消…

計算ドリルの解答を

しこしこしこと書き写した甲斐があった、ということなのだろうか。poliは、コトが露見し殴打されたわけだ。が、このひとは、それどころか、賞賛されたらしい。イヤ〜、オめでたいオめでたい。グッジョブ、グッジョブ。莫大藁)

市川崑の"言語活動"??

石坂浩二が語る市川から類推するに、彼にとっての言語活動が映像化もとい映画であったように思う。だから、俳優がいないうちに、「ふさわしい曇天がそこにあるから」石坂やスタッフをエキストラに急場仕立てし、撮ってしまう。職人だらけのカメラマンだろう…

いや、その『黒い十人の女』。とて。

言語活動の直接性の危うさと間接性の到達不可能性のもどかしさが混沌としてるでね〜の。 風松吉は、媒体物をコトバだけでなく、他の9人をも用いてフル稼働である。到達不可能性を好都合、とさも波乗りしているような存在である。相手は良い迷惑である。もど…

え?あ?せたぶん?

単に、谷崎マンセ〜宅の目と鼻の先ってだけのこと。 せつめーぶそくだっ! そだね。抽選にとおったものの、行けなくなったから、おめ〜ど〜よ?というわけで。行ってきた。そゆこと。

この辺を読んでいて、

内田樹が村上春樹と編集者が作品を育むにあたって、うなぎという仮想キャラを媒体する存在として置いていることを例にこの二人の問題意識を投影している。(内田樹2005『先生はえらい』ちくまプリマー新書)ことを思い出した。 ん? てっきりレヴィナスの問…

『ブランショ2008』

南館で。H坂にて2カ月ほど前から捕捉はしていたものの、またいつもながらの5すくみ6すくみ。で、手が出ず。ここで入手しないとまたアマゾン様となるので。あわてて。まぁ、その。 『2008』の対談から着手。ブランショがみえね〜みえね〜と実態がみえない…

『ブランショ1978』

その連休。

土曜に某資料のdead_stockに愕然とし、 日曜にKOneさんが聞いたら卒倒しそうな人らのコーディネートで近世以降の貝塚探しに歩き、 日に焼け紅潮した面をおっ下げ、月曜はせたぶんへ。んでまた新宿紀伊国屋南館へ。

連休ボケな一週間

が終わりつつあるなか、にっきなどを。

ともあれ。

ここで大先達、基層文化てなここ何年もの先入観が大きく揺らいだというのだ。今の日本の文化のご先祖という割りにはどうにも多様に富んでいて、そんな一括りできるしろものではないのだな、やはり、、と、そんなことを語っていた。

岡村道雄1994「縄文物語海辺のムラから」『朝日百科 日本の歴史』別冊1 朝日新聞社

MOOK本なので、入手困難ではあるが、大先達その人の思いが詰まった一冊。同趣旨の『縄文の生活誌』この本は別所で示した通りで、よりもアツさを感じる。 いつだったか、ご本人はお忘れであろうが、、専門の名のもとに対象として考える分野を固めてしまう頑迷…

たびたびこのにっきで登場する

「縄文時代の環境問題」という展示にpoliは図らずもお手伝いに参加することができた。その反対側にて縄文ユートピアを歌いあげる、そんな展示も相変わらず多いし、件の展示に直にキックバックな展示が顕れたのは、まさにこの里浜の地であったことを生前「環…

なんで、こんな話を、、、

というのは、先の大先達が途々話してくれた話が、この話題を想起させたのである。 先に示したカヤの実や、資料館裏にうわっているヤマボウシの木の果実を示しつつ語ったことには、地元の人たちにこれらを示してもホ〜とかヘ〜とかホヘ〜といった調子で全く関…

白土三平1997『カムイ外伝』弐 小学館文庫

民俗学の研究にあっても、そういった多様な状況を看取していたであろうことは、取材が細かいことで知られるこの劇画に登場する組合せ式釣針の描写にもよく現れている。

昔から

梅原猛が縄文文化を基層文化といって、これに追随する考古学者たちがいて、それになんとも乖離を見ずにはおれなかった。 poliは、だいぶむかしに早期の石器(のなかのとある器種)について卒業論文モドキとして提出してずらかったわけであるが、そのときに同…

19日、20日、と。

行ってきた。どこへ。松島辺りへ。里浜貝塚のある宮戸島が主目的であったわけだけど。ここの資料館といい、他所の仙台市縄文体験の森といい、体験を主体とする博物館施設である。前者の来館者も圧倒的に体験学習の受講者であるという説明があった。 え〜と、…