と、いうわけで。

 哲学と倫理学とが異なり、考古学と倫理学とが違うということもわかっています。、、、いやあ、じつは過日叱咤して頂いた人にも、それより以前に、やはりこの分野の話をしたとき、

 政治家にでも、なりたいんかい!!

とつるし上げられました、ハイ。
 でも、上に示したとおり、道徳判断だろうが、他の判断だろうが、お構いなく、事象は出来するのは、確かに科学が注視する対象である。であるものの、他者に伝えるプロセスに移行した時点で、何らかの判断が参入してくるわけだが、そういう判断でどれが他者に伝える。つまり明るさと暗さを橋渡しするに適しているのか。そういう選択肢としてpoliは、倫理学が思考するその道程を借景しているにすぎないのだ。
 そういう眼で、倫理学も、経済学も、デリダレヴィナスも、爆発アタマ先生も、見ている。つもりなわけですが。
、、


やぁ。ぶち切れてる?

かもしれず。