ダイアリーから

引っ越してまいりました。いや、インポートしただけ、、、

"博物館外の思考"と、「建築」外の思考

血のめぐりの悪いpoliは、前著をご恵投いただいた時点では、反博物館、博物館外部システムという語句に目を白黒するばかりであったが、反博物館は、反機能主義の相貌をなしたそれであり、その対象のひとつとして、藤山一雄の発想を挙げているということだっ…

そして一貫。

藤山にとって満州国国立博物館構想と実践は、この課題の一環であり、終戦にてこれが潰えたら潰えたで、戦後引き上げた後、郷里の養鶏農業協同組合の理事長となり、栽培=炭水化物から家畜生育=蛋白源への転換による当時日本の食生活の拡充に再び挑み、晩年…

思考はもっと深層に

赤松を通して傍示された権力ゲームと、これを回避するかのように顕示する藤山の方途。そもそも、社会政策学会が一旦の休眠をする直前の、東京帝国大学法科の経済学部を卒業した藤山一雄。彼の当初の課題は、当時日本の食生活の拡充であった。それは在学中、…

盤外に出る藤山一雄。

一方、「争いごとが嫌い」(星野直樹の述懐による)な藤山一雄は、自身の博物館プランをこれを取り巻く環境ごと具体的なイメージに彫琢してプレゼンする。世界観を開陳して誘おうという、権力ゲーム=駆け引きをいみじくも排し得た態度。イメージ指向なので…

赤松啓介のいう"したたかな証言者"―。

『非常民の性民俗』など、主要著作にあっても度々触れてきた事柄。 聴取者を騙くらかした、にしても、聴取者がこれをデフォルメして騙くらかされた可笑しさを一般化して伝えようとして残しえた、とすれば、それは証言者と聴取者=したたかなプレイヤーたちの…

犬塚康博2016『藤山一雄の博物館芸術』共同文化社

前著に引き続きご恵投いただきまして、ありがとうございます。

博物館・遺跡。むつかしい。もどかしい

ただ、読み進めるpoliには、もどかしさがジワジワとくる。そしてあとがきでもう一度『銀河鉄道の夜』のくだりが触れられたとき。これなのかと思った。博物館も、その収蔵されているものも、その存在意義や所有が別所に措かれた上で論じられているからだ、と…

こんな回り道

こんな回り道したものの、官/民に固定化から免れていなかったのだなあと。。 さて、著者は、その固定化を排し示したのが、過日に紹介した論考に基づく『銀河鉄道の夜』の読解を媒介した思索である。(本書第1章第1節)この来館者の視座にたてば、件の固定…

そんな折

そんな折、poliの生業の分野では市場価値の周縁でLinuxなどオープンソース・プロジェクトの勃興が話題となっていた。そのさなかで、ローレンス・レッシグの『CODE』の訳出が出来した。この書を介してpoliがみたのは、官ではない、一般に民とみなされる立場か…

同じ方向をみていることを双方が省みるきっかけは得られないのか――

上の学芸員氏は、保存運動のさなかの藤前干潟の価値をCVMという環境評価の分析法にて勘定された経緯を知るべく、環境経済学について調べていたのであった。当時poliにとって、経済学は取っ掛かりのつけられない、もどかしい分野でしかなかった。しかし氏の話…

官と民を対置して捉えることに囚われる――。

想起することがある。10年以上も経ってしまった。。。 ある学芸員が講師を務めた考古学講座のある一講の後、やや疲れ気味にこう漏らしたことがある。そういえば、このとき教材として月ノ輪古墳の発掘調査の記録映画を流したのであった。(奇しくも本書のあと…

犬塚康博2015『反博物館論序説』共同文化社 

fischeさんより。ご恵投いただきありがとうございました。 、 、 、 著者は、冒頭で従来の博物館論の視点を整理しつつ、こう評しているところがある。 (引用者註。とある著述が、)博物館を巡る諸関係を「官/民」に固定化しておこなわれていた。民に官は内…

ただこの在り方が

媒介物=メディアとしてのそれを示しているのだ、とするならば、主体を求めることは徒労だともいえる。

今更ながら、、、

引用したとき、なんとなく語用に違和感を感じていたのだが、遺跡考古学。文脈からすると、森本は意図的に記している。対置するのは、青銅器など遺物単体と向き合うのを主体とする考古学的思潮。とある本的にみれば、森本は、その背後に梅原末治を見据えてい…

どっかで目にするような下りが、、、、

遺跡考古学者の仕事は、遥かに軍隊の仕事よりも容易である。戦に於ては、敵は縷々「カモフラージ」によつて其の正体を紛はすに反して、考古学者の場合に於ける遺跡は、全く正直で「カモフラージ」の為悩される事がない。よしや何等かの事情によつて曖昧であ…

境目の地、三浦半島。

それからもう一つ。里見vs北条という視点からすれば、三浦半島というものは、当時境目たる場であったことを表している。まあ、源平期も同様な状況にあり、その当時は千葉vs三浦。和田義盛の父である杉本義宗は、嫡子候補となるべき長子でありながら、千葉氏…

宮下秀樹2013『センゴク一統記』6 講談社

センゴク一統記にて、山崎の戦いの前哨戦としての禁令の"発布合戦"が活写されていた。この延長線上で最宝寺中世文書をみれば、秀吉と、北条を他者の岬から臨むどさくさ紛れな里見の、2種の禁令が並ぶというのが、啓発的であろう。惣無事令と相俟ってこれは…

横須賀の文化財展―ツナグ・ツタワル・オクル―

3/1(日)まで。先日、定期検査の合間に、拝見。。富岡製糸場のレンガと、衣笠城址本丸に位置する大善寺の毘沙門天立像、そして久里浜中学校内調査の舟型石列内の人骨が"三枚看板"であろう。が。poliがおおお!と目を引いたのは、古文書のほうである。最宝寺中…

鳥瞰する考古学。。。

テクテクと歩いてみるだけでも、開かれていくことが多々あるが、鳥瞰するともなれば、なおのこと。ましてや森本の時世には考えられなかった蜘蛛のような例のヤツなんて、活躍しそうな、、、 航空写真というものは何も、発掘、出来上がりです!、、なためだけ…

森本六爾1931「飛行機と考古学」『考古学』2巻2号 東京考古学会

先頃、不当な破壊が行われた、天白元屋敷遺跡の再検討がfischeさんのページにて、展開中であるが、この記事を拝読させて頂いていて想起したのが、タイトルの論文。ちゃんと読み返さないとなあ、と。

あるときは国学にとっての、、、あるときは文献史学にとっての、、、

大森貝塚・西ヶ原貝塚などの調査や、岩宿の石器の出現は、テクストの学問サマの予定調和をワヤにしてきた点で、ある方面の方々にとっての、その、立派にもはた迷惑なトリックスターっぷりは、山川出版社を始めとした日本史教科書で近年まで明々白々だった気…

櫻井準也2014『考古学とポピュラー・カルチャー』同成社

いつまでたっても、かようなステロタイプに納めておきたい、と世間様が仰るなら、考古学者は、特に土に塗れる3Kな日本考古学者は、より立派に現代社会の”孤立者”だ!ということで。いいや、 トリックスター?(おい)(いいや、poliは本気で言ってます。と…

それから、も一つ。

、望みを託すのが、批判的精神をもった”孤立者”だというのなら、考古学者さんはみんなその資格ありますよね。

これって何スか???

教育・研究分野での格差問題も先鋭化する一方である現在 これも第2考古学の批判的精神が担ってる課題なんですか? ? ? ? というか、その 格差って何を指していってるのですか? 、、一応、批判ではなくてホントにどれのことが訳がわからない!!

マッチ・ポンプって、、、

、、わけではないですよね?前にもそんな誤解を説いておられたような、、、まあ、熱烈な読者がそんな誤読をしているのを耳にして、真に受けてる、という気もしないでもない。それよりコワいのは。

陸平をヨイショする会2004『ようこそ陸平へ』

この会も、草刈りに集い行うことからはじまった。それに接すると、選好がガチッと想定されたソフトを初手から提供するのがはたして望ましいのかどうか、という戸惑いがモヤッと残る。ライブラリを提供しDIYだぁぁ!異界では、、くらんべりぃだか、ぶるぅ…

森本和男2001『遺跡と発掘の社会史』彩流社

ここでは施策側の着地点までが語られていたおゆみ野ふれあい公園であるが、実際ここを訪れると、おゆみ野の森を育てる会の活動によって、清掃されたり植樹されたり畑が作られたりする森の中に上赤塚貝塚や古墳群が守られていることがわかる。

そして、このいっぽうで。

こんな作る側のみの片側の詮索だけでなく、では実際享受する側の様子とは。ということが気になってしまう。

ただ。危惧が含まれているとすれば。

その国独資にしろ、ミョ〜な協和な在り方にしろ、危惧が含まれているとすれば、特定の少数者で決定すると、一面的な施策や価値判断に収まってしまう、ということであろう。そして。これが協和を求めるフワっとしたものの正体であろう。突如背景の情報なしに…