2006-07-01から1ヶ月間の記事一覧

フーコー『自己のテクノロジー』岩波書店

彼はフーコーの振り子の言い出しっぺのフーコーではない。しかし、彼の最晩年の関心は正に振り子のようであったとpoliには映る。『知の意志』の紹介者が解説で示している別の意味で。 アガンペンや、彼を巻き込んだ檜垣の著作に示された司牧者権力の構造と反…

フーコー『真理のディスクール』筑摩書房

フーコー『性の歴史Ⅰ 知への意志』新潮社

ジョルジョ・アガンペン『開かれ』平凡社

檜垣立哉『生と権力の哲学』ちくま新書

O'Brien, MichaelJ."measuring the flow of time The Works of James A.Ford, 1935-1941"

う〜む、刺激的なんだぜ、これ。すみません。サンボ聴きながら書き込んでいるので、poliは柄にもなく「ぜ」とかいってやがります。 日本だけじゃないのね、ガッチガチなクロノロジーって。いや、わーってるけど、その詳細は、ディーツとか一部分の紹介しか日…

Lyman, R.Lee and O'Brien, MichaelJ."Measuring Time with Artifacts"

三中信宏2006『系統樹思考の世界』講談社現代新書

暴走しない程度だが大月隆寛、みたいな風貌のひと。ってそんなものはど〜でもいい情報だろがぁぁぁ。本人呆れちゃったよ。がっかりだよ!!poliてめこのやろ!!じつははてなで、三中先生の俎上書ページが。 私は、統計学やRのドキュメントでこの先生のペー…

オラクルのトリコ仕掛けの明け暮れ中。

ので。是非。てなわけで前回に続けて書名ではないタイトル。Oracle10g EnterpriseEditionがひょーんなことで手元にあったので、インスコ。ノートに。で。熱でプスーン。おお、初めて熱トラブルに見舞われた。大連のテレビ会議で、相方が持参したノートが会議…

考古学で夢を語ることは、別にかまいませんけども

赤松啓介が、考古学に夢がないこと=大胆な仮説を提示することを軽視する傾向を批判していたというのは、確かに心の動く心地はする。 しかしである。 実証主義=夢がないというのは、彼の世代のみは言えても、その後の世代が尻馬に乗ることほど、勘違いな話…

佐藤正美『論理データベース論考』

前期を代表する『論考』と、後期を代表する『探究』を逐次的に読む、あるいは「オレは後期」「いやいや、オレは前期を攻める」「いやいやいや数学のトリコな中期ってえのもある」(これは奥雅博のこれ)と一方に肩を持って読む。人によって、なんかいろいろ…

野矢茂樹『ヴィトゲンシュタイン「論理哲学論考」を読む』ちくま学芸文庫

福田敏一『方法としての考古学』雄山閣

一年前読み掛け時のノートがでてきたので、それを鑑みまた書いてみる。 そもそも平安博物館突入(いわゆる考古闘争)時、時流に背を向ける旨の声明を堂々と公表した日本考古学の措置を省みず、下記の論文が発表されたのを目にし、そのうえ日本考古学御本尊が…

市野川容孝「法/権利の救出 ベンヤミン再読」『現代思想』2006年6月号特集アガンペンpp.120-135

「殺害可能」ということでアガンペンが含意しているのは、確かに一つには「殺害が処罰されない」ということだ(『ホモ・サケル』邦訳一〇六頁)。つまり、殺してもよいという是認が殺害可能ということの一つの意味である。しかし、「殺害が処罰されない」と…

湯澤一比古『オープンソースじゃなきゃ駄目』IDEA出版局

現在のオープンソースの開発はコミュニティーと言うグループに参加しているボランティアによって行われていますが、その内に、オープンソースの開発の多くは、ビジネスライクに行われるようになるでしょう。【引用者略】 ただ、ボランティアのコミュニティー…

木村衡「地方史資料の保存活用と文化財保護〜遺跡の問題を例に〜」『古代民衆寺院史への視点』岩田書院

このテキストの底本はこれ。 もともと、文化財保護ということに関して真剣に考えようにも、poliには危機意識がなかった。確かになぜ遺跡を守るのかといえば、こちらの興味本位に帰着せざるをえない。原因者の私有財産を制限してまで行政が調査を指導すること…

鈴木公雄1989.1『貝塚の考古学』東京大学出版会

この本に示されたコトバをちょくちょく思い出すのだ。 鈴木公雄は、チャシの研究者を志したものの、清水潤三の千葉北部などの総合調査への尽力から縄文時代晩期研究に貢献、縄文時代の研究者と目されるようになる。さらに伊皿子貝塚の調査にて、彼の調査団が…

福田敏一『方法としての考古学』雄山閣

先日ここで紹介されていたので、コメントしたものの、また別種の見え方が考えられたので、ここに。 結局のところ、赤松啓介の引用が偏っているというのは、一概にクサだけではない。あのような体裁である以上、あのような引用に留まるのだと思う。 体裁とい…

吉田憲司2003「「フォーラム」を睥睨するのは誰か」『あいだ』97号『あいだ』の会

ここで炎上ひとりなダメpoli(なんか掟ポルシェみたいな響きだあね、まいいか)全開であったが、取り乱した理由は、上2者のうち、応答である後者の在り方にみる近頃散見する共通した姿勢にある。もちろんあの場はこれとは違う対象だけどね。 制度が他の制度…

犬塚康博2003「国立民族学博物館:「フォーラム」を睥睨する「神殿」」『あいだ』94号『あいだ』の会

コルナイ『コルナイ・ヤーノシュ自伝』日本評論社

上は、ハーシュマンの自伝である。コルナイとはプリンストン大学の同僚で、過去に政府への参画した経験をもつことも共通している。そして何よりもその過去を厭うことなく書き記したことも共通項といえる。 政府への参画というならば、シュンペーターもケイン…

ハーシュマン『方法としての自己破壊』法政大学出版局