認識論

野崎昭弘2008『離散数学 「数え上げ理論」』講談社ブルーバックス

{型式の細別 | 一型式(=実数の包含する数>)内を仮想された各段階の並び(=自然数)と一対一対応せんと分けようとする営為}

デーデキント1961『数について―連続性と数の本質』岩波文庫

市川崑の"言語活動"??

石坂浩二が語る市川から類推するに、彼にとっての言語活動が映像化もとい映画であったように思う。だから、俳優がいないうちに、「ふさわしい曇天がそこにあるから」石坂やスタッフをエキストラに急場仕立てし、撮ってしまう。職人だらけのカメラマンだろう…

いや、その『黒い十人の女』。とて。

言語活動の直接性の危うさと間接性の到達不可能性のもどかしさが混沌としてるでね〜の。 風松吉は、媒体物をコトバだけでなく、他の9人をも用いてフル稼働である。到達不可能性を好都合、とさも波乗りしているような存在である。相手は良い迷惑である。もど…

え?あ?せたぶん?

単に、谷崎マンセ〜宅の目と鼻の先ってだけのこと。 せつめーぶそくだっ! そだね。抽選にとおったものの、行けなくなったから、おめ〜ど〜よ?というわけで。行ってきた。そゆこと。

この辺を読んでいて、

内田樹が村上春樹と編集者が作品を育むにあたって、うなぎという仮想キャラを媒体する存在として置いていることを例にこの二人の問題意識を投影している。(内田樹2005『先生はえらい』ちくまプリマー新書)ことを思い出した。 ん? てっきりレヴィナスの問…

『ブランショ2008』

南館で。H坂にて2カ月ほど前から捕捉はしていたものの、またいつもながらの5すくみ6すくみ。で、手が出ず。ここで入手しないとまたアマゾン様となるので。あわてて。まぁ、その。 『2008』の対談から着手。ブランショがみえね〜みえね〜と実態がみえない…

『ブランショ1978』

その連休。

土曜に某資料のdead_stockに愕然とし、 日曜にKOneさんが聞いたら卒倒しそうな人らのコーディネートで近世以降の貝塚探しに歩き、 日に焼け紅潮した面をおっ下げ、月曜はせたぶんへ。んでまた新宿紀伊国屋南館へ。

連休ボケな一週間

が終わりつつあるなか、にっきなどを。

だからこそ、poliには

この一方的にカタる一人の人物のうねりだけで突っ走る夢野の作品のいくつかなんぞは、むしろデリダにとっちゃ、分析の候補となりえたのではないだろうか。 、 、 でも、 死んでもたわけだけどね。

デリダにしても、夢野久作にしても

それだけではないだろうに!!つまらない読み方してるよな。何でバカの一つ覚えにゆ〜びん、YUBIN、郵便、ナナケタはい?、ZIP_CODE何だそりゃ?、うっさいわ!! 他者へ向けての表象を成す手段のひとつに過ぎないものにいつまでもこだわっていて、彼ら…

たぶんその人が

上のようなことを書いたのは、「瓶詰の地獄」だけに限定してのことに思える。 、 、 、 ま。 短いから小説嫌いにはいいのかもしれないし、何よりそこに据えられている"装置"が、"よくいる"デリダリアン大好物の郵便の一手段である手紙、なわけですし。 ああ…

夢野久作1992「暗黒公使」『夢野久作全集』7 ちくま文庫

あの〜、まだ見つからないのですが、とあるブログで、 夢野久作を読む奴に、デリダを読む奴は居ね〜というのを見かけまして。 んま〜そ〜だな、、、 あの呉井嬢次とまみえる役割をデリダに代替わりしてもらったら、あの重たいモノガタリが終わることなく、そ…

デリダ2002『デリダ 有限責任会社』法政大学出版局

"わからない"ということ

厨先生のこの注釈は、いやなんともていねいな。 もっとも。 厨先生にとって御贔屓の両氏を出汁に、わからんちんに向けてさらにくわしく述べるレトリックとも言えなくないか。しかし、わからないでストップするのではなく、そこから掘り込みを促すという態度…

ひとつめ。学部生poliの不安

学生時代、論文購読を行う学部3年のころ、よくこの不安に見舞われていたものだった。何か? "同一の"土器型式内にあって、細別の議論に際して、論じられるその前後の差異が際立ってくると逆に本来土器型式が"同一"の裡にある、という前提から始めているにも…

餅屋がちゃんと詳説してくださ〜る!

と思いきや、フラチな当方なんぞをリンクして、おしまい、とは、 ど〜いうこっちゃ!! 〜さに〜さん 、、、 ま。ともあれ。ふたたびその件について。 2つの結び付きについて数学者はどう説明するのかを論じたのが、遠山本の第2章「「もの」と「働き」」で…

2月が終わるって、もう3月になるのに、

まだ入海の近辺を、うろうろと、ま、入海そのものというよりも、遠山本。でやす。

D.ゲンダーヌ, 田中了1978『ゲンダーヌ』徳間書店

コメントに示したとおり、開発経済学によって、否応なしに意識されてきたグローバリズムは、万能とまではいかないことが明らかである。poliにとっての似非坊主の勘ぐりといったところか。そして目下の程度の勘ぐりでは、こういう事態のおかしさも感知しがた…

そもそも。

そういう誰もが了解しうるような要素がどっかにあるのだという期待がなければ、お互い「どこの馬の骨だか分からない」同士が集まって、社会だの国家だの市民だのマルチチュードだのと僭称してはばかることのないこの状況が生じるわけがない。訳知り顔だけで…

それは、使用する側が、でしょう。

認識論も所詮は、似非坊主の悟り似たり、単なるペタンチックで、現実は、もっと俗世間にまみれたものだと思います。「ペタンチックで」「俗世間にまみれ」ているのは、認識論または現実に接している者自身に帰するものであって、この言説は、認識論または現…

アドルノ2007『否定弁証法講義』作品社

社会学、道徳科学と続いて、主著上梓直前の講義へ。本当にジェイが評したような、難解を押し付けるような人だったのだろうか。この3冊はそう首を傾げさせてしまうこと請け合いである。おお。予定調和にも、、だっっっせん!!だ。いいのか?ホントにいつも…

ローレンツ・イェーガー2007『アドルノ―政治的伝記』岩波書店

東浦町周辺の地図を購入しようと、名古屋の三省堂に入ったところ、ついでに購入こっちがついでとはどういうことだ!!福田敏一ほか『考古学という現代史―戦後考古学のエポック』(雄山閣 2007)が、あったものの、アドルノに惹かれた。なぜなら、自宅に置き去…

遠山啓1952『無限と連続』岩波新書

単位元と、メルクマールを求める発想。なんてメモして。

見えますかね????

複数のなかに分け入って、その席に座って。。。と。。。。。 で!! 単数の視座でいままで見てきたことは、御破算!!!ですかね??ま、それは極端なのでしょうが。。。 それから。それから。 グローバリゼーションなど、単なる擬制、それもできそこないです! ひ…

ま。もっとも。

両者が独立していようが、poliがカッテにもどかしくなっていようが、全く関わりなく同じ"地"に在った、または在るのである。しかも、かような選択を取らざるをえないというのは、地"縁"としてみるという、ひとつの擬制に刷り込まれている、との誹りを受けか…

かようなpoliの不埒な筆先であるので、

あまりここにコメントするのは、まったくもってKuuki ga Yomenaiであるとは思ったのだが。 12/19のにっきにて、悼む態度の差異が語られていた。そのなかで、 18日の告別式の弔辞は、「アイ子さんのいない網走はさみしい」でした。もはや、そのようにしか言え…

ともあれ。

羽入の前著からしても、あの大権威が肥大させたような"一点なにがし"のような代物に終始したものとは、その語り口から、どうしても思えなかった。でも読者のなかではそう捉えてぎゃ〜ぎゃ〜ホザくのが、またでてくるのだろね、と思ったら、あんな上のような…

羽入辰郎2007『マックス・ヴェーバーの哀しみ』PHP新書

しかし、それにしても。 同じことに触れながら、これほど捉え方がネガ/ポジ分かれた二者もない。そんなにかみさんがこわいのか、羽入辰郎。こらこら ただ。 山之内のそれにしても、今回の羽入のそれにしても、社会を語る者において説得力をもつものは、その…