そして一貫。

 藤山にとって満州国国立博物館構想と実践は、この課題の一環であり、終戦にてこれが潰えたら潰えたで、戦後引き上げた後、郷里の養鶏農業協同組合の理事長となり、栽培=炭水化物から家畜生育=蛋白源への転換による当時日本の食生活の拡充に再び挑み、晩年まで続く。一貫したものが本書で浮かび上がる。