かようなpoliの不埒な筆先であるので、

 あまりここにコメントするのは、まったくもってKuuki ga Yomenaiであるとは思ったのだが。
12/19のにっきにて、悼む態度の差異が語られていた。そのなかで、


18日の告別式の弔辞は、「アイ子さんのいない網走はさみしい」でした。もはや、そのようにしか言えないのでしょう。よくわかりました。
(太字強調は、引用者)
 とある。poliが、

アイ子さんが姉を悼むそれと、アイ子さんを悼む次代のそれが共にあるためには、もはや、同じ土を介する以外にない、ということなのでしょうか。
と、軽薄なしたり顔なコメントを発したのは、ここからきている。世代間倫理だの持続可能だの関係なく、まったく独立な複数が、地縁からみてしまうと同居(というか同舟)してしまうことに注視した。これを差異の認知を鈍くする阻害因と捉えるのか、コメントに示したように、両者の意識を近付けるつて、と捉えるのか。