2008-01-26から1日間の記事一覧

荻野昌弘2002『文化遺産の社会学』新曜社

ここでも、件の齟齬を図らずも感じとっている模様である。 荻野昌弘は、いみじくも佐渡宿根木の「三角屋」とガイドブックに紹介されていることのある家屋のあるじの言を引いて、保存地区とされたこの地域にあって、住民は、、、 あたかも「伝統」を保持して…

J.スティグリッツほか2003『開発経済学の潮流』シュプリンガーフェアラーク東京

グローバリズムの名のもとに自らの倫理観で他国にコミットしたとき、出来した上のような齟齬のさまざまを拾い、議論してきた学的立場の一つとして、開発経済学がある。このシンポジウムの立役者、ジョセフ・スティグリッツの斬り込み隊長ぶりをみたのは、こ…

D.ゲンダーヌ, 田中了1978『ゲンダーヌ』徳間書店

コメントに示したとおり、開発経済学によって、否応なしに意識されてきたグローバリズムは、万能とまではいかないことが明らかである。poliにとっての似非坊主の勘ぐりといったところか。そして目下の程度の勘ぐりでは、こういう事態のおかしさも感知しがた…

そもそも。

そういう誰もが了解しうるような要素がどっかにあるのだという期待がなければ、お互い「どこの馬の骨だか分からない」同士が集まって、社会だの国家だの市民だのマルチチュードだのと僭称してはばかることのないこの状況が生じるわけがない。訳知り顔だけで…

それは、使用する側が、でしょう。

認識論も所詮は、似非坊主の悟り似たり、単なるペタンチックで、現実は、もっと俗世間にまみれたものだと思います。「ペタンチックで」「俗世間にまみれ」ているのは、認識論または現実に接している者自身に帰するものであって、この言説は、認識論または現…

実は、知多行の前に、、、、

年頭のコメントに、思うことがあって。書いていたのが、以下の通り。