そもそも。

 そういう誰もが了解しうるような要素がどっかにあるのだという期待がなければ、お互い「どこの馬の骨だか分からない」同士が集まって、社会だの国家だの市民だのマルチチュードだのと僭称してはばかることのないこの状況が生じるわけがない。訳知り顔だけで市民発掘するってぇのは何なのさ?その場合の市民て?
 過日のファイアーベントの引用も、実は、「似非坊主」が希求しつづけている科学的方法自身と、これを使用するヒトおのおのに帰するものとを区別するせんとする営為に注意を喚起するものでした。しかし単なる面白話としてしか扱われないということでしょうか。それともやはり二者は、分かち難いものものということでしょうか。もっとも、poliにしても日頃まったく完遂できているわけでもないわけですが。、、駄目ジャ〜ン
 きれいだろうが汚かろうが、悪意だろうが良心だろうが。似非坊主の勘ぐりをせせら笑うかのように、現実は確かにそこに立ち現れてくる。だからこそ、これまた過日指して賽の河原のオニといったわけであるが、これも余計にわかりにくい下手な寓意であった、ということであろう。いや〜、正しい表現力がいただきタ〜イ。うそ。