市川崑の"言語活動"??

 石坂浩二が語る市川から類推するに、彼にとっての言語活動が映像化もとい映画であったように思う。だから、俳優がいないうちに、「ふさわしい曇天がそこにあるから」石坂やスタッフをエキストラに急場仕立てし、撮ってしまう。職人だらけのカメラマンだろうが、気になれば押しのけて自分と一致する眼が向けられているかを確認する。小西康陽が「カメラマン傷ついただろ〜な」とつぶやいていたものの、市川自身の鬼気、というか強迫観念でそんな余裕もなかったのではないか。そのくせ、皇室に"話さなければ"ならない場が差し向けられると、「石坂君、頼む」。といった感じ。映画なしでは、そうではないそんなコトバなんぞ脆弱なもんでは自分の言語活動ができない、とカラダが動いたのではないか。、、、さっかくSAKKAKU!ぜ〜んぶ錯覚!!