ひとつめ。学部生poliの不安

 学生時代、論文購読を行う学部3年のころ、よくこの不安に見舞われていたものだった。何か?

 "同一の"土器型式内にあって、細別の議論に際して、論じられるその前後の差異が際立ってくると逆に本来土器型式が"同一"の裡にある、という前提から始めているにも関わらず、そもそもその同一性はどう定義されてたっけ?

・・・・・・・

あんだって???きこえんぞ!!

と何故かオタオタしてくる。ま、それはpoliの生半可なところであるが、いずれにせよ共通項と相違項からなるというのが、論じられている細別可能性をはらむ土器型式の内容というわけである。
 言い換えれば、差異について述べられているその対象は、型式に定義された当初の入海式と一括されてきた集合、あるいはこれに"前駆する"とみなされている近接した別の集合同士、すなわち上ノ山と入海、である。さらに遠山啓の話をふまえれば、横位に展開する紐状文様構成という共通項は、単位元であり、今回論争の渦となっている相違項は、群の3つの関係性のうち、推移性を成している。
 ちなみに早期でも更に遡り、押型文系土器群と撚糸文系土器群との間柄を同じ群の3つの関係性を透してみると、廻転押捺という施文手法を単位元とし、並行関係という対称性で結びつく、ひと括りの群のなかの小さな群の二者として位置付けることができる。廻転押捺文系と統合するのは、2群を加算しひとつの群とすることにほかならない。

 同一の型式の括りの中で、差異を論じている=前提として、推移律を含んでいると自明化されている=自明化が忘却され、差異ばかり論じられると、型式の定義!(とかいうpoliの思い込み)が揺れる


!!
ほ!これか
以上。おいおい、しまらね〜の。ま、メモだし。長げ〜メモだなぁ