2008-01-01から1年間の記事一覧

だからこそ、poliには

この一方的にカタる一人の人物のうねりだけで突っ走る夢野の作品のいくつかなんぞは、むしろデリダにとっちゃ、分析の候補となりえたのではないだろうか。 、 、 でも、 死んでもたわけだけどね。

デリダにしても、夢野久作にしても

それだけではないだろうに!!つまらない読み方してるよな。何でバカの一つ覚えにゆ〜びん、YUBIN、郵便、ナナケタはい?、ZIP_CODE何だそりゃ?、うっさいわ!! 他者へ向けての表象を成す手段のひとつに過ぎないものにいつまでもこだわっていて、彼ら…

たぶんその人が

上のようなことを書いたのは、「瓶詰の地獄」だけに限定してのことに思える。 、 、 、 ま。 短いから小説嫌いにはいいのかもしれないし、何よりそこに据えられている"装置"が、"よくいる"デリダリアン大好物の郵便の一手段である手紙、なわけですし。 ああ…

夢野久作1992「暗黒公使」『夢野久作全集』7 ちくま文庫

あの〜、まだ見つからないのですが、とあるブログで、 夢野久作を読む奴に、デリダを読む奴は居ね〜というのを見かけまして。 んま〜そ〜だな、、、 あの呉井嬢次とまみえる役割をデリダに代替わりしてもらったら、あの重たいモノガタリが終わることなく、そ…

デリダ2002『デリダ 有限責任会社』法政大学出版局

ということでして。

ま。誰が答えを出せるとは思えませんけども。 いずれにせよ、橋下の民間の語用は、他県の知事のそれと同程度なわけです。各所ホントの民間トウキョクから苦言がわき起こっているのは、検索でちゃあ〜んとひっかかってきますが、別に彼だけはなく、神奈川県も…

これをふまえて。

以下に示すのは、田中角栄の秘書を務めた早坂茂三の、中曽根康弘が就任することとなる総裁選当時の田中の言動の回想。 田中が政権を降りた後は、三木、福田、大平、鈴木と、いずれも在任二年前後の短命内閣が続く。ともかく、これで「三角大福」の時代は終わ…

fischeさんへ

ちょっとマヅイ現実を覗いてしまい気分が滅入っていて(あ、某国史跡のタヌキの件とは別で。あんなもんは想定範囲内でして。)、アップしづらくなっておりました。 そんなうちに足利市桐生市て、そりゃ〜地産地消の方針を転換してもめてるところだって。混乱…

それにしても。

どの国どの地域に至っても、公共性の帯びるモノに触れるというのは、国の輪郭に触れるということなのか?モノの落ち着くべき先を想定している場がそれぞれ違う。だからニホンジンの大学がクニに許可を得たところで、その地域のそれをスルーできるというわけ…

実は、ここ数年、

新刊書にしても、フリードマンが息を吹き返している本人がお隠れになってまもないからこの表現はなんかこう生々しいね 吉野俊彦というのは、水木楊『エコノミスト三国志』(1999 文春文庫)で下村治の好敵手として比定された著名な大蔵官僚で、永井荷風の研究…

poliのそんな強ーい味方

は以下の通り。突っ込みはスルーか無視なのか、おい、poli ミルトン・フリードマンほか1981『フリードマンの日本診断』講談社 ウィリアム・プール1981『マネタリズム入門』日本経済新聞社 吉野俊彦1996『円とドル』日本放送出版協会 三土修平1997『初歩から…

、、でもオビのカンヂがね

、、、、、でいったん撤退させて頂きました。(おい) んで今回の再戦にあたって、ハサんで買うことにしました。 、 、 それじゃ、ナントカDVDだろ! 、 、

これのどこがユルいのか

触れている内容はだいぶゴリッゴリにソリッドなものとなっとります。 ネツゾ〜の一件への諸見解とか 日本の考古学者にはインディジョーンズが居ね〜とか ややしゃくれたツタンカーメンさまとか。 ! それはおめ〜のツボだろが!! 、 そういや、そだね。 発掘…

秋田麻早子2007『掘れ掘れ読本考古学ギョーカイと愉快なお話』バジリコ

いままで示した本から想像が付くように、ま。そういったpoliにとって、本書のオビはドン引きいや〜、、メンタル的にではなく、動作として現れたのはひさしぶりですな、マヂで★madi☆で 湯?ゆ?YU、、、ユル系って、なんだよ。 みうらじゅん的なアプローチは…

こうしたものを掘ってくる他に、、

いったん買うのを躊躇したものをここで買う、というのもある。 なに強調しているのだ、poli

クールノー1994『富の理論の数学的原理に関する研究』岩波文庫

350_ナリ〜〜〜。ちなみに。 クールノー2004『富の理論の数学的原理に関する研究』日本経済評論社 が現行。いずれも訳者は中山伊知郎。本書への中山のも〜そりゃ〜な思い入れは、自著『わが道経済学』(1979 講談社学術文庫)に書き付けられている。(アツいよ…

bookoffよぉ〜

清水国明ではないが、なんなんだこの投げ売りは。

これでも聞いて、溜飲を下げようっと。

安渓遊地・宮本常一2008『調査されるという迷惑』みずのわ出版

日本民俗学の父はいうまでもなく柳田國男であるが、その柳田に民俗学に生きることを決意させたのは、南方熊楠その人だった。アカデミズムを遠く離れて、好事家と士大夫と文士を兼ね備えたごときリテラリイなる英国知識人の一類型に自分を擬していた熊楠は、…

ダイコンの山で遭難したくないので、

暴風雨を忌避し、登頂断念したヘタレなpoliが、きましたよ〜フル、、、、、 Tクマさん、そんなわけです。すみません。相模川こえられませんです。

すでに1週間を経過してしまった。。

いや、この人の命日から。しかも今年に限って、あの日と同じ土曜日。あの日は、毎回と同じように、着々とネタを仕込んで、博物館を尋ねようと自宅を出ようとした時点で、電話がなった。わけだ。 、 、 、 脱力。とはああいう状況をいうのだな。 、 その場で…

"わからない"ということ

厨先生のこの注釈は、いやなんともていねいな。 もっとも。 厨先生にとって御贔屓の両氏を出汁に、わからんちんに向けてさらにくわしく述べるレトリックとも言えなくないか。しかし、わからないでストップするのではなく、そこから掘り込みを促すという態度…

とはいえ、、、

模索を促してくれる、と雨乞いのように外部効果を期待する、どころか内部化せんとする参加型博物館論がひとつの枠組みを担ってきたことは無理からぬものを感じる。次の鏡を求めるのであれば、同種の選好が継続するのであろうか? web2.0という語句が現れた背…

じゃあ

逐次!恣皆!!その刺激を受け取るのか?という問い、というかそういう態度の極端さへの疑問は、既に博物館の図書室の司書さんのところで提示されている通りであるが(これなど)、アンケートや諸々の調査で全て吸い上げることができるというのは、そこに、…

ともあれ、、

赤松の二つの問題意識とともに、相沢から照射されるのは、著者や赤松が2分する「知的」/非「知的」の振り子と相同して、中央と地方とのあいだで、人的関係も含めた間接的な情報の非対称性が発生している状況下に、博物館が出来している、という把握である…

森まゆみ2002『「谷根千」の冒険』ちくま文庫

ちなみに同地域の情報の保有形態の近年の様相に目を移せば、poliは、本書にその一例を見てしまう。

相沢忠洋1973『「岩宿」の発見』講談社文庫

五月のこいのぼりが姿を消すと、十七、十八の両日は、浅草寺の境内の三社さまの夏祭りであった。 はじめてのこづかいとして「つまらない物を買わないで貯金するんだよ」と、講釈つきで十銭玉ひとつをもらった。その十銭をふところに、浅草の観音様へ遊びに出…

犬塚康博2008「【書評】『ひらけ、博物館』」『千葉大学人文社会科学研究』第16号

著者は、以前にも赤松啓介の民博への眼差しを通して、危惧を表明したことがあった(2003年『あいだ』94 論考)。poliは、この、「知的」なもの=博物館と非「知的」なもの=見世物、という二分をまたがる存在としてなぜか想起したのが、相沢忠洋の少年時代の…

ふたつめ。"循環する推移=投票のパラドクス??"

時系列という特定の順序が確定している、とはいいがたい。 束といっていいのやら、、といらんことをよけ〜に派生させつつ。 図2の土器にアルファベットがつけられていなかったら、弥生土器の知識を全く持たない人は、土器の変化が、左から右に向って進行し…

ひとつめ。学部生poliの不安

学生時代、論文購読を行う学部3年のころ、よくこの不安に見舞われていたものだった。何か? "同一の"土器型式内にあって、細別の議論に際して、論じられるその前後の差異が際立ってくると逆に本来土器型式が"同一"の裡にある、という前提から始めているにも…