とはいえ、、、

 模索を促してくれる、と雨乞いのように外部効果を期待する、どころか内部化せんとする参加型博物館論がひとつの枠組みを担ってきたことは無理からぬものを感じる。次の鏡を求めるのであれば、同種の選好が継続するのであろうか?
 web2.0という語句が現れた背景が、ウェブの不特定多方向アクセス受入可能というその関係性が人心へ膾炙していくことにあるというのなら、一見情報の非対称性を解消するかのようにみえる。しかし非対称性というものは壁を形作っているものではなく、いままで記してきたように、実際は自らひとりひとりの情報の保有形態=選好の差異が生成しているものである以上、そのウェブの関係性が上の継続を陥落させるとは言い難い。mixiの肥大などは、むしろこの強化に大いに貢献しているとpoliには映る。