これをふまえて。

 以下に示すのは、田中角栄の秘書を務めた早坂茂三の、中曽根康弘が就任することとなる総裁選当時の田中の言動の回想。


田中が政権を降りた後は、三木、福田、大平、鈴木と、いずれも在任二年前後の短命内閣が続く。ともかく、これで「三角大福」の時代は終わった。だが、それでもまだ「三角大福」のしっぽに名前をくっつけて呼ばれている「中」が残っている。それで鈴木善幸が総理の座のわずらわしさにイヤ気がさして、あっさり辞めてしまったとき、田中は後釜に中曽根康弘を推す肚を決めた。そのころ、世評では河本敏夫の名前が取り沙汰され、マスコミもさわいだ。二階堂や斉藤邦吉(当時・鈴木派)の名前も出た。党内の動きを目白で見守っていた田中は「いずれ自分の会社をつぶす男に国のカジ取りはまかせられない」と私にいった。河本の率いる三光汽船は、当時すでに四千二百億円からの借金を抱えており、その後、三光汽船は田中の言葉通りになった。しかし、このことに思いをめぐらしていた人間は当時の政界にはいない。田中は河本を総理・総裁の適格者からはずしたのは、私情からではなかった。
早坂茂三1993『田中角栄回想録』集英社文庫pp.284-285 ll.15-17, ll.1-8
太字強調は引用者。
 おわかりかとは思いますが、注目は、ポスト三木とされた河本敏夫に対する田中の人物評です。ということで。poliのギモンとしては、
あの〜、あれですか、

国の舵取りが任せられないけど、
都道府県レベルはオッケ〜

と、そういうことですかね?