arche

モンテリウス1984『考古学研究法』雄山閣

な。、、なんだ?、、この額は、、、 モンテリウスがなぜ髪留を選んだのか、これを説明する下りでそんなこと言ってましたよね。 型式学上特に興味あるものは亦留針(Fibel)である。それは非常に「鋭感的」(empfindlich)で変化し易いからである。二三の国々に…

濱田耕作2004『通論考古学』雄山閣

一方、これを繙いてみますと、牽引している要素としてはルジメントだけで、鋭感的。は端折ってましたね。ペトリーとモンテリウスとの違いということですか。あるいはエジプトと北欧という風土の違いということですか。どうですかいね。

型式度

ですか。そ〜ですか。 、 、 、 あの〜。そもそも。 鋭感的 って語句があるわけなんですが、それじゃ駄目なわけですか。

そういえば、

黒い山のヒト誤用?ああわあってるよ。。でも近況は正に←←←これだろってばよっが、、近年、現象学に接近した模様である。ま。その衝動?はともかく。ただ訳出しただけかもしれんやろし。そのムーブメントを開闢したフッサールの出発点は、まさにこの数え上げ…

と、みるならば。

じゃ、「切れ目は?」ということになる。「離散的な性質をどこから見出せるのか」という言い方も。また、できる。逆に。仮想された各段階の並び、という"含み"を持たせている以上、同時にそのデータ構造として、離散数(列)の形態を帯びていると仮想してい…

野崎昭弘2008『離散数学 「数え上げ理論」』講談社ブルーバックス

{型式の細別 | 一型式(=実数の包含する数>)内を仮想された各段階の並び(=自然数)と一対一対応せんと分けようとする営為}

デーデキント1961『数について―連続性と数の本質』岩波文庫

おことわり。。

よく、土器論に対し、万事が万事分けすぎではないかと言えば批判したった、ヒハンしたったぁぁぁ!と満足している輩がいるが、poliはそんなもんには断じて与しない。但し。 だからって10細別するのは確かに過度だとは思う 一型式=○○年とかいうことを盲信…

とある講演が行われた企画展

横浜市歴史博物館 特別展 「縄文文化円熟―華蔵台(けしょうだい)遺跡と後・晩期社会―」 10/04(Sat)〜11/24(Mon) 【了】講演会「海辺の生活と精神文化」10/26(Sun)13:〜16: 定員 170名 参加費 600円 「東京湾の東と西〜その生業と文化交流〜」 忍澤成視(市原…

。。。上の件はともかく。

まっとうな考証的視点というものがあるとするならば、先週末行われたとある講演で示されたような営為ではないだろうか。ここで示された調査所見の考証のような、遺構論をこそ活発に行われるべきであるのに、自らの調査の精度がばれるからイヤなのか、概ね消…

計算ドリルの解答を

しこしこしこと書き写した甲斐があった、ということなのだろうか。poliは、コトが露見し殴打されたわけだ。が、このひとは、それどころか、賞賛されたらしい。イヤ〜、オめでたいオめでたい。グッジョブ、グッジョブ。莫大藁)

ともあれ。

ここで大先達、基層文化てなここ何年もの先入観が大きく揺らいだというのだ。今の日本の文化のご先祖という割りにはどうにも多様に富んでいて、そんな一括りできるしろものではないのだな、やはり、、と、そんなことを語っていた。

岡村道雄1994「縄文物語海辺のムラから」『朝日百科 日本の歴史』別冊1 朝日新聞社

MOOK本なので、入手困難ではあるが、大先達その人の思いが詰まった一冊。同趣旨の『縄文の生活誌』この本は別所で示した通りで、よりもアツさを感じる。 いつだったか、ご本人はお忘れであろうが、、専門の名のもとに対象として考える分野を固めてしまう頑迷…

たびたびこのにっきで登場する

「縄文時代の環境問題」という展示にpoliは図らずもお手伝いに参加することができた。その反対側にて縄文ユートピアを歌いあげる、そんな展示も相変わらず多いし、件の展示に直にキックバックな展示が顕れたのは、まさにこの里浜の地であったことを生前「環…

なんで、こんな話を、、、

というのは、先の大先達が途々話してくれた話が、この話題を想起させたのである。 先に示したカヤの実や、資料館裏にうわっているヤマボウシの木の果実を示しつつ語ったことには、地元の人たちにこれらを示してもホ〜とかヘ〜とかホヘ〜といった調子で全く関…

白土三平1997『カムイ外伝』弐 小学館文庫

民俗学の研究にあっても、そういった多様な状況を看取していたであろうことは、取材が細かいことで知られるこの劇画に登場する組合せ式釣針の描写にもよく現れている。

昔から

梅原猛が縄文文化を基層文化といって、これに追随する考古学者たちがいて、それになんとも乖離を見ずにはおれなかった。 poliは、だいぶむかしに早期の石器(のなかのとある器種)について卒業論文モドキとして提出してずらかったわけであるが、そのときに同…

19日、20日、と。

行ってきた。どこへ。松島辺りへ。里浜貝塚のある宮戸島が主目的であったわけだけど。ここの資料館といい、他所の仙台市縄文体験の森といい、体験を主体とする博物館施設である。前者の来館者も圧倒的に体験学習の受講者であるという説明があった。 え〜と、…

それにしても。

どの国どの地域に至っても、公共性の帯びるモノに触れるというのは、国の輪郭に触れるということなのか?モノの落ち着くべき先を想定している場がそれぞれ違う。だからニホンジンの大学がクニに許可を得たところで、その地域のそれをスルーできるというわけ…

、、でもオビのカンヂがね

、、、、、でいったん撤退させて頂きました。(おい) んで今回の再戦にあたって、ハサんで買うことにしました。 、 、 それじゃ、ナントカDVDだろ! 、 、

これのどこがユルいのか

触れている内容はだいぶゴリッゴリにソリッドなものとなっとります。 ネツゾ〜の一件への諸見解とか 日本の考古学者にはインディジョーンズが居ね〜とか ややしゃくれたツタンカーメンさまとか。 ! それはおめ〜のツボだろが!! 、 そういや、そだね。 発掘…

秋田麻早子2007『掘れ掘れ読本考古学ギョーカイと愉快なお話』バジリコ

いままで示した本から想像が付くように、ま。そういったpoliにとって、本書のオビはドン引きいや〜、、メンタル的にではなく、動作として現れたのはひさしぶりですな、マヂで★madi☆で 湯?ゆ?YU、、、ユル系って、なんだよ。 みうらじゅん的なアプローチは…

ダイコンの山で遭難したくないので、

暴風雨を忌避し、登頂断念したヘタレなpoliが、きましたよ〜フル、、、、、 Tクマさん、そんなわけです。すみません。相模川こえられませんです。

すでに1週間を経過してしまった。。

いや、この人の命日から。しかも今年に限って、あの日と同じ土曜日。あの日は、毎回と同じように、着々とネタを仕込んで、博物館を尋ねようと自宅を出ようとした時点で、電話がなった。わけだ。 、 、 、 脱力。とはああいう状況をいうのだな。 、 その場で…

ふたつめ。"循環する推移=投票のパラドクス??"

時系列という特定の順序が確定している、とはいいがたい。 束といっていいのやら、、といらんことをよけ〜に派生させつつ。 図2の土器にアルファベットがつけられていなかったら、弥生土器の知識を全く持たない人は、土器の変化が、左から右に向って進行し…

ひとつめ。学部生poliの不安

学生時代、論文購読を行う学部3年のころ、よくこの不安に見舞われていたものだった。何か? "同一の"土器型式内にあって、細別の議論に際して、論じられるその前後の差異が際立ってくると逆に本来土器型式が"同一"の裡にある、という前提から始めているにも…

餅屋がちゃんと詳説してくださ〜る!

と思いきや、フラチな当方なんぞをリンクして、おしまい、とは、 ど〜いうこっちゃ!! 〜さに〜さん 、、、 ま。ともあれ。ふたたびその件について。 2つの結び付きについて数学者はどう説明するのかを論じたのが、遠山本の第2章「「もの」と「働き」」で…

2月が終わるって、もう3月になるのに、

まだ入海の近辺を、うろうろと、ま、入海そのものというよりも、遠山本。でやす。

おことわり

これのまえがきではないが、寝かせすぎて、以下のにっきは、ナントカな議論というか、ホントにくさっても〜てるやもしれず。まいいか。な。と。そうそう。 その後、ここでの話題の中心にある「もの」と「はたらき」という2要素は、夏場にうかされたアノ懐疑…

それは、使用する側が、でしょう。

認識論も所詮は、似非坊主の悟り似たり、単なるペタンチックで、現実は、もっと俗世間にまみれたものだと思います。「ペタンチックで」「俗世間にまみれ」ているのは、認識論または現実に接している者自身に帰するものであって、この言説は、認識論または現…