と、みるならば。

じゃ、「切れ目は?」ということになる。「離散的な性質をどこから見出せるのか」という言い方も。また、できる。逆に。仮想された各段階の並び、という"含み"を持たせている以上、同時にそのデータ構造として、離散数(列)の形態を帯びていると仮想していることを意味している。
数え(上げをす)るというのは、玉入れのそれのように"拾って放る"ように"切り分けられた"自然数を与えられる状況にハナから置かれていることはまずない、というのは、案外ARCHAもMATHEも分け隔てはない現象面の有り様というものだ。
 であるからこそ、上の問いは、両者の知でモヤっとしている部分であって、もっともそれが学問と名乗っている性格をあらわす本源的な問い立てである、とpoliは思う。このワカワカなもやっとしたトコロに踏み込んでいる実感。。と書いているオマエがワケワカだ、とはいえなくもないが。ともかくも、型式学上、前後に"分けられた"細別段階間や2型式間に焦点をあてた瞬間にそのモヤモヤが生じる今日この頃なわけで。