そういえば、

 黒い山のヒト誤用?ああわあってるよ。。でも近況は正に←←←これだろってばよっが、、近年、現象学に接近した模様である。ま。その衝動?はともかく。ただ訳出しただけかもしれんやろし。そのムーブメントを開闢したフッサールの出発点は、まさにこの数え上げの科学からであった。しかしその陣営内から反対側の知が入り込み混濁していると叩かれ、その反対側たる心理学的性格の解明に挑み、その気風が当の思潮を形作っていったといえる。しかし彼が最晩年に選んだターゲットは、ご無沙汰してきた元の面の、さらに応用領域に片足の入っていく=幾何学への遡及であった。そしてさらに。この成果を自国に紹介する労をとる、と同時にそのムーブメントの諸々の適用を企てていった人物こそ、しばしば挙げるデリダであったのだ。したがって彼のグラマトロジなんぞそれこそ、ソシュールにかかわりを求めるよりは、フッサールに求めるほうが至当であろう。さらにいえば、フッサールが事物の直観化に立脚したのに対し、そこから逃れた"非"直観の像を"擬"直観のそれへ写像することに心を砕いた、とはいえまいか。つまり初期の3〜4つのテクストは彼の観点からの直観の像を示したものから視点が移動していく過渡期の言明、と読むことはできないだろうか、とも考えている。いやぁ、そりゃあ、アノ沈黙の男を動かしたことで舞い上がる無理もないナンシーの、へのアクロバット されるデリダの晩年の姿がチラチラしないわけでもないが。ま。しかし。そういったときに。。。。