抹香臭い発表の後に。

考古学たる発表が。第二考古学とかメタアーケ好きの雲水たちはこういう発表は興味ね〜すかね〜?雲水たちはさてもベタなリアクションにも立ち去っていく。。ベッタベタや、、 ラピタ土器の施文工具の特性を検討し、これを踏まえ採用の変化をみる。縄文土器研…

鈴木素行2002「縄文集落を解析する」『増補 縄文人の時代』新泉社

環状集落・馬蹄形貝塚と称されている住居址や包含層、あるいは作業域の微視的な分析にはたしてスモールワールドネットワークは????

鈴木素行1996「縄文時代の集落と貝塚の形成--木戸作遺跡における「環状集落」と「環状貝塚」の解体」『季刊考古学』55号 雄山閣

いまこそ!!

ファシストに親子ともどもケンカを売り、 ケインズ、ハイエクへのチャチャ入れはおろか、Circus Keynes、ウィトゲンシュタイン等々、折々の賢者を鼻をくすぐり、 その一方で、先覚者グラムシの遺産を守り、リカルドゥ大系を整理した、、 このcoolなイ◯公の再…

菱山泉1993『スラッファ経済学の現代的評価』名古屋大学出版会

並べ読みしようと前者を年末ギリで購入したものの、三が日終了し病臥。。。。それにしても、後者の紙価の高まりは、、、、何じゃい!誰がそんな値で買うのか、、、

ハイエク2012『ケインズとケンブリッジに対抗して』(ハイエク全集 第II期 別巻)春秋社

のんびり放縦にできたのは、、

入るから出る方にキリキリすることもなかった、と? んで、今は。出る方にキリキリするのが忙しく、なぜか入る方に目を向けることを迂回している。ようにみえる。。 、 、 、 入る見込みがない、と?時代が違うと?生産性なんて、過去?!と?そっ〜っすか〜…

クルーグマン, ポール2009『クルーグマンの経済入門』ちくま学芸文庫

生産性重要!とのっけから始めるこの書籍も、いまや、ちくま文庫ではなく、学芸というガクブチに容れられている時点で、今の語用でいうところのゾンビ!でも今は封じているからダイジョウブ、、、みたいな、、?!?そんな扱いなわけで?

数で議論が先鋭化はすれど、、、、

生産性を拡大する!とか、、分けるパイの大きくする!にはどうしたら良いか、とかいう、そういう景気の良い話は、しない!ルールでやり取りしている、そういうゲームか何かで?

褒めそやされるのが、、

名前ばかり。という扱いが久しいBinfordだって、現に口を開けば、また筆を起こしても結構、クドクドとあでもね、あ!こでもね。と、ノタモウテたわけですよ。ほんと。

鈴木公雄1969『土器型式における「時間」の問題』『上代文化』第38輯 6−13頁 たびたび。

扇情的な過日の"聞き飽きた"消耗品な惹句よりも、地道で生産的な(単に"細かい"ではない!)方法の議論やはり、待望されるべきは、惹句ではなく、このような方法論の検討、あるいは伊皿木さんが◯下くんのコブチで丁寧にその錯誤を指摘するそれのような検者た…

言論世界の笹才蔵の切れ味

シンパともども小熊英二を撫で斬り。。。オオツキリューカンの鈍刀によるそれよりもスパーっとしたものとなっている。ジャスミン動乱に勘違いするアノ手の面々(多分人差し指でキーボードをうつか、ダブルクリックをトリプルクリックしているような日常を過…

"12年前"発生直後、読み返したのは、、、

近代経済学研究会1959『世界十五大経済学』富士書房 現在社会や倫理という高校の授業において、帰納法 - 演繹法というと、ベーコンとデカルトの対置で語る、というのは我々の世代までは相場であった。(最近はどうだか知らないので、、)が。 これに本腰をい…

そういえば、10年ほど前。。

、、、なんで見抜けなかったのか、、、 〜36人界隈のアレ というのもあった。こういうことをシンポジウムで論議した、というのを耳にした時、実は、上の福田や、吉本・花田(漫才かよっ!)をpoliは思い出したのであった。 思えば、大学2年頃、あの吉本隆明…

福田、林の上のそれは、

本来政治へ向けられたものである。しかし。民科の糸冬も、内部における左傾の激化による自壊といわれていることからみても、純然たる研究者のセカイだの、社会とそれ以外だの、国民のニーズの内外だの関係なく、こういう陥穽に陥ることが過去にはなかったわ…

川久保剛2012『福田恆存』(ミネルヴァ日本評伝選)ミネルヴァ書房

共産党シンパだった知識人たちがレッドパージ後、手のひらを変えて"騙された!"と被害者面するその態度を、言論活動を戦前から牽引してきた福田も林達夫も冷ややかにみる。やや丁寧な福田の所感に対し、林のそれはより率直である。 (「新しき幕明き」『群像…

ルディネスコ2012『ラカン、すべてに抗って』河出書房新社

上のような乱文なんぞ、ザラなブログ類の記事の類である。が!である。ドゥルーズは兄のようであり、セルトーは厳しい父のようだった。だが二人とも、一九六八年五月以降、若い毛沢東主義者たちがテロに傾倒していくのを回避させてくれたのだ。こういう明白…

未来があるか?だと。そんな台詞は、

もう、聞き飽きた。担い手は滅びたい、滅ぼしたいのならカッテに滅びればいいが、望むと望まざるとにかかわらず、学問そのものとその研究対象は、そこに残り続けざるを得ない。"一件"から10年以上経過した現在でも。それでもってこれからも。そんな問うマネ…

どこを切っても、

この梗概は、どこを切っても、立岩の諸著作と遜色ない、あのもどかしいほどの語り口で、認識として切り取ってきた、ホヤホヤの思考を読者に提供する。中学生向けだろうが、抹香臭い話だが大好きなオヤジどもだろうが、変わらない書き方。

立岩真也2010『人間の条件 そんなものない』(よりみちパン!セ)理論社(現版はイースト・プレス)

またの名を立岩真也自身によるプロレゴメナ。またの名をミレニアム以降の『君たちはどう生きるか』

残暑確定!

あつくるしい!世をさらにあつくるしく、、、、いやダメだろ!

村岡晋一2008『対話の哲学』(講談社メチエ)講談社

ま、もっともこんなpoliのたわ言なんぞ置いといて、村岡晋一によるこんなシンプルにしてビリビリくるタイトルの付いたも〜ホントまっとうな参考書がちゃんとある。

ちなみに

カントが『純粋理性批判』に『プロレゴメナ』を添えたように、本書はあのトンデモナくも浩瀚なおなじみ凶器本自著『救済の星』に添えられたものである。この『救済の星』を先達としたベンヤミンのあの閃光弾たちもまた、周囲が持て余し放逐した『ドイツ悲劇…

ローゼンツヴァイク, フランク2011『健康な悟性と病的な悟性』作品社

ジンメルとか、ベンヤミンとか、アドルノとか、閃光弾を放つようなエッセイストな思想家というのが、あのジクジクと水虫かよ、、、クドクドしたカントと同じ風土から生まれるとは。(あ。いやカントはロシアかむしろ。しかもジンメルはストラスブール。なわ…

永井均2012『ウィトゲンシュタインの誤診 -『青色本』を掘り崩す』ナカニシヤ出版

あの太田光を塗炭の苦痛に叩きこんだであろう(しかも不可抗力に)に、そのうえで労をねぎらう弁を打つ、あの柔和な顔した悪魔、永井均先生の近著。過日に触れた黒崎宏の素読のそれとはやはり違うアプローチを取っている。いや、本人としてはその種のモノに…

アツいんだか、サムいんだがわからないこの暑気を、、、

このクソ中途半端を、、カチ割れ!!

実践に奔り知識が萎む、

という反動もその逆も論外である。現象を各々の手に切り取ってくるにはいずれも要る。

ヘルムホルツ1999『自然力の交互作用―対訳 (大学書林語学文庫 (814)) 』大学書林

膠着まがいの共生を変じるのは、どちらか一方なのか。それとも追いすがってきた別物なのか、、そういえば (またどっかの中二病中年のツイート前半) こういった二者がともに糧としているのは何なのだろうか (またどっかの中二病中年のツイート後半) 追いすが…

桂木健次1999『環境経済学の研究』松香堂書店

多辺田政弘1990『コモンズの経済学』学陽書房

う〜ん。現物はたしかソフトカバーだったような・・