西野嘉章2004『マークダイオン[驚異の部屋]講義録』平凡社

 ハーシュマンは、先日触れたアダム・スミスたちの例示を介しつつ、私有の涯に失望を得て、これへの斥力たらんかのごとく、公の場に何かを求めていく、つまり私有への反作用としての公共財の出来を語る。
 西野は、モノトーン化された関心の集合が、モノトーンなまんまにまた異なる方へとシフトする動きを捉え、そこから出来する学術廃棄物=関心の囲みから外れたものに焦点を当てる。
 この三者の構図を、先日お会いしたときにfischeさんにいただいた、

に示されていた、「標本」の呼称・ライフサイクルなども相俟って、poliはただただ迷走する。
 すなわち、「ぼくらとちがったやつ」だと失望し「ぼくらとちがわないやつ」を求めて、もはや「ぼくらとちがっ」てしまったやつを捨ててそこから離れる、のか。あるいは、ハーシュマンの脈絡から逆行することを受け、私有に戻る者たちから放擲される「標本室」「展覧室」の標本たちは、なす術なく博物館に避難を余儀なくされる、ということだったのか、、、、