2007-06-19から1日間の記事一覧

あ!そうそう

fischeさんの示した、悪(=興味どころか、忌避の表徴)を善の体系から視るために標本または博物館を媒介とするジョバンニの構図は、まさに最前の俯瞰の構図の一側面、なのかもしれない。

ちなみに。

上掲部分の直後、今野はこうも言う。 ペヨトル工房をだれも必要としていないのだな、という覚悟は、ボクの気持ちを楽にした。必要とされていると考えていたこと自体、思い上がっていたのかもしれない。しかし、まだ出版をやめるつもりはなかった。休止宣言し…

西野嘉章2004『マークダイオン[驚異の部屋]講義録』平凡社

ハーシュマンは、先日触れたアダム・スミスたちの例示を介しつつ、私有の涯に失望を得て、これへの斥力たらんかのごとく、公の場に何かを求めていく、つまり私有への反作用としての公共財の出来を語る。 西野は、モノトーン化された関心の集合が、モノトーン…

A.O.ハーシュマン1988『失望と参画の現象学』法政大学出版局

今野裕一ほか2001『ペヨトル興亡史―ボクが出版をやめたわけ』冬弓舎

ペヨトル工房を率いてきた今野は、その19年の活動の休止を宣言するイベントの2カ月間の感慨のなか、以下のことを述べている。 本の買われ方が変わったのも如実に体験した。イベントが続いた二カ月のあいだ、自分の作った本とお客さんの関係を見ていると、い…

レーモン・ルーセル1987『ロクス・ソルス』ペヨトル工房

ちょっと、フライイング気味に引用。 もちろん私とて売れなくていいと思っていたのではなく、「自分が読みたいような本を、大勢の人が読みたいと思っているだろうな。『ルーセルの本を出してくれてありがと』って思った人が私のほかにいないハズがない!」と…

ペヨトル工房のもと読者poli(中学期〜浪人期)

poliには、もと腐れ文学少女であった(たぶん腐女子より質が悪い)姉が一人いる。仮りにT崎マンセ〜とでもしておこう。T崎とは、そうあの映画化するとそのほとんどが単なる成人映画と化してしまう悲運な、そうあのコスプレ野郎なエロ作家のことである。言い…