ちなみに。

 上掲部分の直後、今野はこうも言う。


 ペヨトル工房をだれも必要としていないのだな、という覚悟は、ボクの気持ちを楽にした。必要とされていると考えていたこと自体、思い上がっていたのかもしれない。しかし、まだ出版をやめるつもりはなかった。休止宣言したことで、毎月本を出すというある種の義務からは解放されたから、もっと積極的になれると思った。
(p.145 ll.7-10)

 読者の関心の集合は、制作者自らのそれとは独立したものである、とみなしたことでこれからの媒体の制作を自由に発想できる、というのだ。ある意味、異なる集合を俯瞰する位置にいるのである。
 学芸員自身もまた、展示を介した来館者とのかかわりの中で、かような"職"にある以上、この俯瞰をなし得る位置にいるのである。少なくとも、一緒になって、食わず嫌いにのっかっているのは、その職としてあまりにもったいないことをしてやしないだろうか。