「否定神学への焦点が残されたままだ!!」

 とする指摘があるが、そりゃそ〜だろ。そいつのほうは『有限責任会社abc』の後に急展開する話題なのだから。確かに言及はあるものの、もはやそこには絵葉書という導きの糸は消えてしまった状態で語られているし、2大家の視座をも包括しても足らないと東は捉えている。だから、いきなりラカンだのジジェクだののたまうこととなるのである。もはやデリダの言説はそこにないし、本来デリダ自身の補助線たるジャン=リュック・ナンシーレヴィナスも影さえないのである。そのせいか。