東浩紀1998『存在論的、郵便的』新潮社

 浅井田陰とか空桶谷弁人とか、そんなもん身に纏わないほうが、東, デリダそれぞれ主張を明快に分けつつ論旨を展開しやすかったのではないか。

 首取り武者もクラインの壷で叩かれずにすんだかもしれないし、
デリダは、中途半端ではなく、ちゃんと数学基礎論を勉強すべきだ」
とかいう、お門違いもいいとこな批判がま〜ワンサと出ずにすんだのではないか。だいたい、
こんな負債、上の2人のレベルでなんとかすべきだったんちゃうんかい!!曰てもねえのに、クラインだのゲーデルだのつまらね〜お土産つけやがってバカたれが!!