2010-01-01から1年間の記事一覧
この絵葉書という道具立てがデリダ自身のお気に入りであったことは、その後訳出された、、、
かつてテル・ケルに属していたデリダのもう一つの貌といえないだろうか。 テル・ケルが意識したであろうウリポ工房のイタロ・カルヴィーノやジョルジュ・ペレック、特定のグル―プに属していたかは知らないが、ミシェル・ビュトールもテキストを編むために、…
の映像部分からも伺うことができるが、彼がきってきたカードはこれだけではないし、上掲書近くに上梓された『パピエ・マシン』にても、あれかこれかとカードをきっているではないか。
さらに『アーカイブ酔い』に関していうと、その思索の成果を試す彼の言説を活写しているのが、度々引き合いに出す、スティグレールとの語らい、、
柳田國男『山の人生』(poliはこれで)とともに紹介されていた。他に本書の評を目にしたことはまだじつはない。多分この佐藤の文脈があまりにも刺激だったからだろう。
へとへとな生業の帰り、えきなかで。名前を見、ハナが出そうになった。でも旧版が1995年にでてたのね。。。。性格上訳出は、現代思想の部分訳だけで留まると思っていた。
poliの地元の吉井貝塚を形成した縄文時代早期の人々も、礫器にホルンフェルスに使うのは、割に小ぶりなものに収まり、大型の種は、地元の石質である、緑色岩、玄武岩など第三紀由来のものを選択している。
御坊が帰路ぎりぎりに大暴走してこの沢井川の河原に突撃したがために「まてマテまて・・」とpoliも河原にでてみた。すると。あるわあるわ。千枚岩も砂岩も。千枚岩は炉の縁石にも用いているようで、どうやらこの地の利に適った使用ということになる。目の前…
ここは沢井川のほとりである。この川を臨むテラス状の広大な台地上の一角が現場である。今回千枚岩の礫の凝集が検出されている。被熱の顕著な部分がみられないのだという。この石質の石器としては、打製石斧が出土している。相模川東岸ぐらいまで下ると、ま…
poliがその帰路、板尾好き君がまた例によって時間きっかりに始め、時間きっかりに終えたことをひとりフムフムと感心していたところ、 うん、あのヒトぐるぐる(調査区を)まわりながら、何度も腕時計見てたね。と、御坊。 うあああああ、見られてたぞキミぃ…
でも、30分経過して、御坊が飽きて赤トンボを追いかけ始めたときは、ほっとした。 えがっだぁえがっだぁ、気のせい気のせいだぁ〜
現場に着いた途端、御坊はいきなり一番調査区が見やすい場所に鎮座し、凝っと見始めたのである。 何こいつ、怖っ!! で炎天下30分ほど、凝凝凝凝凝凝凝凝凝凝凝凝。う〜む、なんなんだ。
こんなクソ暑いなか、こまかぁ〜いおシゴトをしているのを目にすれば、そしてその調査責任者は、日本の考古学者で1、2を争う難解な説明を緻密に行う"術者"だから、音を上げること間違いなし、しめしめ、ムフフと、多寡を括っていた。
ということで、丁度板尾好き君が今年も格闘している現場の説明会をしている、ということなので、これでも連れて行って、灼熱地獄で懲りてもらうか、と同行させることにした。
おいそこのマンセー、おめー"ヨロシクお願いします"ってそりゃ〜何なのだ??
発掘の旅というのは、何だ御坊、それは武者修行かなにかかね?
このT崎マンセ〜から。 uzi-SMGが二人で、発掘の旅にいってみたいと、今年の夏休みの計画を熱く語ります。すんません。。お願いしまするー好き嫌いありません。 体力も根性もあります。 学校立て替えの為オソロシイ程夏休みヒマです。 どうぞヨロシクお願い…
ご無沙汰をいたしております。
この方向だては。 システム=配置という把握をキーにまだグルグルするpoli。 〜過日のpoliより 上のような衝動に駆られ、これが迷走だったことに気付くきっかけはここにあった。 産業系博物館が1920年の道府県市立商品陳列所規程を契機に脱博物館化して以降…
吸収のままとなるにせよ、奪還するにせよ、一個一個が保たれる第三の道というのは、、ないものだろうか。
カントでもって、それをものす人をpoliのこの腐れ人生で目撃することができるというのは、結構感動的である。
高峯超えか?? こういう下記類書があるが、
その翌日購入して、一日あけて、通勤時、開いてみた。。。。 板尾好きくん、ありがとう。。 携帯鳴らなきゃ、満足して直帰だったかも。。 (ヤヴゥァッッ!!)
△保町□○ブックセンターに入った瞬間に。。 板好:どこでアブラを売ってんだ! ポ :アブラなら、貯めてますわぃ、こってり。 板好:うるせっっ!○ミだア×。はよ来いっっ ポ :ええ〜、それじゃ×××だらけでねぇですかぁ、、 板好:うるせっっ!だから、はよ来いっ…
こちらにとっての歳を越した気分。会社を変えるいうのもしんどいね。どうも。 以下のような、疾走感に足をとられつつ。。。
BinfordとSackettとが相見えるその只中にある、functional equivalents, isochrestic variabilityなるstyleの2相は日頃のpoliのように、単に多様性としてしまうナイーブな処理ではも〜、な〜んもみえね〜距離感を覚える。そりゃあも〜ゼツボー的な読書だあ…
メディア論というか、アーカイブ論?記憶論?にまつわるデリダの2著が控える。。
fischeさんの最新論文。大阪での講演から敷衍・拡張されたものか。システム=配置という把握をキーにまだグルグルするpoli。この脇に、、以下。
やはり俎上にに上がる書籍が尽きることなし。以下。