湯澤一比古『オープンソースじゃなきゃ駄目』IDEA出版局


 現在のオープンソースの開発はコミュニティーと言うグループに参加しているボランティアによって行われていますが、その内に、オープンソースの開発の多くは、ビジネスライクに行われるようになるでしょう。【引用者略】
 ただ、ボランティアのコミュニティーによって、支えられるオープンソースも残るに違いありません。この時のイメージを共有しておきたいのですが、このボランティア活動は、決して「無償奉仕活動」である必要は無いのです。【引用者略】
 ボランティアと言うのは奉仕ではなくて、有志活動でなければなりません。実態がどうであってにせよ、新撰組は有志の集まりだったと言うことに違和感はないでしょう。しかし、彼らは無給ではなかったのです。
 では、そのオープンソースの開発に携わるボランティアは、どんな方法で収入を得ることが出来るでしょうか。例えば、自分が開発に加わっているオープンソースの解説本などの出版は如何でしょうか、印税は魅力でしょう。利用技術の研修やセミナーの講師をすることも可能でしょう。コンサルタントの仕事を引き受けて、そのオープンソースを使いたい人の相談に乗ることもあり得るでしょう。(pp.106-107)
 これは、有志活動の生み出す外部効果を述べたくだりである。ここで新撰組を例にとって示した「無給でない」という意味は、このような面だけではない。いわゆる費用(必要経費)というものも出来する。「カネはかかっていない。物資は有志で調達した」という主張は、外部効果をみるような経済学的発想からみれば、反論にならない。その調達した物資も立派な費用としてカウントする、それがこの発想というものである。
 「自主発掘」も有志活動の最たるものである。実は文化庁が監修した発掘に関する書物にもこの有志活動に関して記述している部分がある。それは、調査記録に関するもので、文化庁としては、事務的なもの(調査員の出入り、作業員の就労状態、発掘器材の管理状況、来訪見学者の記録)と会計的なもの(調査費用の出納)からなる事務的な記録を学術的な記録とともに付けておくのが、今後の調査計画の立案のためにも有用であることを説いている。ここでpoliが注目した例示がある。

たとえば、地元有志の好意で労働力できわめて安価に入手しえたとしても、それは例外的な事態であり、無料の器材の貸与をうけて、無料のまま全調査費を算定したものは、正確な調査費用の総額にはならない。だから、このようなことがあったときは、その事情もくわしく記録しておくことが必要である。(pp.137)
 実はこの直後、発掘調査は一種の事業として捉えるべきだとまで指摘している。さらに書物をさかのぼると、このようなものも現れる。

四四、発掘者 考古学的発掘に於いて最も肝要なる要素は発掘者(excavator)自身の人物なり。其の学術的良心に富み、単に珍貴なる物品を獲る念に駆らるること無く、考古学に関する各種の知識経験を有す可きは言を俟たず。また事業の組織経営の才にも長ずることを要す。【引用者略】発掘者は学者技師たると共に、事業家たるの性質を具備せざる可からず。
(大燈閣版pp.92-93)
 これは、浜田耕作『通論考古学』現在、雄山閣刊の一節である。初めにこれを読んだ当時、「経営の才」とはどういう意味か全くわからなかったが、先に挙げた諸説を加味することでその意図に近づけたかとpoliは感じている。
 ちなみに。
 「珍貴なる物品を獲る念に駆らるること」であるが、これについても木村は先のテクストにて警句をのべている。で、この部分がその後の反論を生んだのであるが、反論する側も、この警句を誤解というならば、誤解を解く形の反論を示してもらいたかった。が。のだが。さても、さても。
 それから、それから。
有限責任中間法人日本考古学協会
あのー、起業っすか??起業したっすか!すげ〜
同じ種の法人に、こういうのがある。

有限責任中間法人 Mozilla Japan
先に示したオープンソースの活動を行っている代表的団体である。彼らのように経済活動を模索する気があるというのことなのだろうか。あんなにそういうことを毛嫌いしてきた畑の面々が、なんでこんな選択をするのか。甚だ疑問なんですけど。