フーコー『自己のテクノロジー』岩波書店

 彼はフーコーの振り子の言い出しっぺのフーコーではない。しかし、彼の最晩年の関心は正に振り子のようであったとpoliには映る。『知の意志』の紹介者が解説で示している別の意味で。
 アガンペンや、彼を巻き込んだ檜垣の著作に示された司牧者権力の構造と反対側の、この権力が望むべき姿と「たがう」ことで、囚われたり危害を加えられたり排除される立場にも振れていた。この「たがう」部分をも一切合切をコクる挙に出る、パレーシアステーツなる行為の突破力を測ろうと、ギリシア・ローマ悲劇の分析に挑んだのが、晩年期の講義録である『真理のディスクール』とみられる。当初のこっち側の視点で、そもそもの彼自身の模索の出発点であったろう『精神疾患とパーソナリティ』の像とは、どれだけの相違があるのだろうか?またもやpoliが個人的に興味がある。
 な〜んてエラソ〜だぞ、poli。てめ〜が受け売りにしているのは、以下の2著じゃ、ボケ!!えらそ、モ〜セ〜致しますです。一方的に。カッテに。自己満足で。ほっとけ。

 今のところ、中山版入門以外に、パレーシアステーツ→真理を語るゲームへの積極的な言及はあまり見られないよーに思いますが、どこぞにまだまだあるのでしょうかいな??
 う〜、上澄みの上澄みしかならない。山を崩さねば。あ、実はこの山を崩す俺プロジェクトを管理するために、oracleインスコしたわけです。山崩しシステムの開発!ひとりプロジェクト!わ〜い。
ごるぁぁぁ!!仕事に集中しろ!!
は〜〜〜〜い。