同じ方向をみていることを双方が省みるきっかけは得られないのか――

 上の学芸員氏は、保存運動のさなかの藤前干潟の価値をCVMという環境評価の分析法にて勘定された経緯を知るべく、環境経済学について調べていたのであった。当時poliにとって、経済学は取っ掛かりのつけられない、もどかしい分野でしかなかった。しかし氏の話を伺い、経済学を価値の学としてみることで切り込もうとした。書籍だけに過ぎないものの、そうして触れていくにつれ、そして藤前干潟の分析から模索した、氏による遺跡の価値判断の客観化への指向。それを果たし得たわけではないが、これと重なり、この価値判断という指向それ自体が、先のみている"同じ方向"であり、これへ注意を喚起できまいかと考え始めたのである。