2015-03-15から1日間の記事一覧

博物館・遺跡。むつかしい。もどかしい

ただ、読み進めるpoliには、もどかしさがジワジワとくる。そしてあとがきでもう一度『銀河鉄道の夜』のくだりが触れられたとき。これなのかと思った。博物館も、その収蔵されているものも、その存在意義や所有が別所に措かれた上で論じられているからだ、と…

こんな回り道

こんな回り道したものの、官/民に固定化から免れていなかったのだなあと。。 さて、著者は、その固定化を排し示したのが、過日に紹介した論考に基づく『銀河鉄道の夜』の読解を媒介した思索である。(本書第1章第1節)この来館者の視座にたてば、件の固定…

そんな折

そんな折、poliの生業の分野では市場価値の周縁でLinuxなどオープンソース・プロジェクトの勃興が話題となっていた。そのさなかで、ローレンス・レッシグの『CODE』の訳出が出来した。この書を介してpoliがみたのは、官ではない、一般に民とみなされる立場か…

同じ方向をみていることを双方が省みるきっかけは得られないのか――

上の学芸員氏は、保存運動のさなかの藤前干潟の価値をCVMという環境評価の分析法にて勘定された経緯を知るべく、環境経済学について調べていたのであった。当時poliにとって、経済学は取っ掛かりのつけられない、もどかしい分野でしかなかった。しかし氏の話…

官と民を対置して捉えることに囚われる――。

想起することがある。10年以上も経ってしまった。。。 ある学芸員が講師を務めた考古学講座のある一講の後、やや疲れ気味にこう漏らしたことがある。そういえば、このとき教材として月ノ輪古墳の発掘調査の記録映画を流したのであった。(奇しくも本書のあと…

犬塚康博2015『反博物館論序説』共同文化社 

fischeさんより。ご恵投いただきありがとうございました。 、 、 、 著者は、冒頭で従来の博物館論の視点を整理しつつ、こう評しているところがある。 (引用者註。とある著述が、)博物館を巡る諸関係を「官/民」に固定化しておこなわれていた。民に官は内…

ただこの在り方が

媒介物=メディアとしてのそれを示しているのだ、とするならば、主体を求めることは徒労だともいえる。