2011-06-29から1日間の記事一覧

ま。。

可能性の中心のヒトとか、やたら否定神学を多用するシャクレさんとか、当初は説明するための方便であったのが、主旨に昇格してしまっているから読者は大混乱である。だから物自体まで「オレは変化を見たぁ!!」となってしまうのではないか????

ちなみに本人は、、、

Derrida2006"Specters of Marx"Routledge 亡霊!マルクス本人も口走っちゃっているからって、また揺さ振るね〜。。。

例えば、、、

(((マルクス主義)の可能性)の中心)とかいうのがあるわけだが、 せっかくの可能性が中心で帳消し(cf.すきのはんたいのはんたい)で、残っているのは元の(マルクス主義)じゃねぇか?

気を取り直して。またこれ。。

否定神学と自身の方法論モドキたる脱構築との差異をこの三つの試論をもってようやく成すに至った、というものである。前者は、神という不動点の一者を培地に論旨を展開する。しかし名という可能性(=動点)を培地に時には行為遂行だの出来事だの複数性だの…

けども。。

poliが読んだ感じでは、これが最もアテにならないので(2355の石澤典夫風味で) 脇でHite-Shingaku!!とうるさいので、脱構築とかいうウワバミがその否定神学 を呑みこんでしまった、というおはなし。 、 、 、 良き夢を。(こらこら)

デリダ2005『名を救う』未来社

過日、否定神学三部作の最終作とかpoliが言っていたが、デリダ自身は、 ひとつの与えられた名についての三つの試論 と、前書きに明言している。