2013-12-01から1日間の記事一覧

見田宗介2008『まなざしの地獄』河出書房新社

ヴィルノ、パオロ2004『マルチチュードの文法』月曜社

"見入る"のも、過ぎたるは毒! になってしまっている。解放という自由の難しさから逃避するために見入っているなら、ほんと毒だね。単系への収束なんて然り。。ひつこい、、、、 ランシエールは上の自著の方が、「アルチュセールせんせいがおっしゃるには、…

ランシエール、ジャック2013『解放された観客』法政大学出版局

ドゥボール、ギー2000『スペクタクルの社会についての注解』現代思潮新社

ドゥボール、ギー2003『スペクタクルの社会』ちくま学芸文庫

松田政男2013『風景の死滅 増補新版』航思社

2013/10/26 戦後の日本とフランスにおける埋蔵文化財保護行政『連続講演会<日仏における考古学と埋蔵文化財>』於:日仏会館(恵比寿)

梅原末治や金関恕の丸パクリか!!とか言わないように。モノとヒトの関係の結び方。これが、この陳腐に響く染み付いた生活観のようなものが、日本考古学の関心の中心にあって、また先の単系の進展観の誘惑に動揺することなく分析するための基底たるものとし…

ちなみに。(もういるのかもしれないが、)

LINEはフォネー(声)のre-gainである、という発想がもたげてくるというのなら、安易な妄想であろう。つの丸、というかマキバオーのスキンヘッドみたいなアイコンや写真が飛び交い、明らかに「見る」ことを誘っている営為ではないか。単に2chのlegacy化にみた…

そもそも生業に例えるならば、、

享受者のいないシステムを開発するSEなんて、crazyなアレであろう。違和感の何者でもないのである。

、、したがって。

データベース化と目することのいい加減さの、そのいい加減たるところは、使い手と享受者が未分離、というよりもその発想には使い手しか存在しないのである。

DBの話に戻れば、

この数年、ビッグデータというコトバが独り歩きしている。ここでnoSQLというタームが同時に飛び交い、これを差してRDBMSの後継などと書き立てる向きがあるが、結局のところ、これも単系的発想の帰結に他ならない。升目から層へカタチを換えただけのことであ…

しかし。

これは2つの別箇の流れを一緒くたにしているという視点もまたある。先の複数性であらわれる群集墳のあり方は、高塚古墳の単独性、あるいは惑星+衛星様のユニット構成の推移からみれば、葬制の世俗化が進んだもの、と見、翻って寺院の建造ひいては大仏の建…

考古学を例に。。。

これは周知のことであろうが、横穴古墳、積石塚なるものの特徴として、単独で在ることは皆無ということがある。いっぽう、これに前駆する段階の高塚古墳と称されるものは、単独、または陪塚という、対象よりも小型の複数の墳墓が付属するに留まる。 この背景…

東浩紀2001『動物化するポストモダン』講談社現代新書

データベース化というプロセスに「推移する」かのような説明を目にした段階で、本を閉じて、屋根裏に投げ込んだ。も〜〜こういった単系的発想には辟易していたからである。単なるブレイク処理だろ、これ。。

(本当はフハー)

ネコという種には、ドラマがある。ただでさえ。そもそも、poli個人、鼻の下の、あのモフっとしたネコ殿の面体自体、思い出すと失礼ながら失笑。。なんなんだあのヒゲの生え方とか!!で。去勢なんて人間様の事情なんてもんが加われば、ますます混迷を極める…