しかし。

 これは2つの別箇の流れを一緒くたにしているという視点もまたある。先の複数性であらわれる群集墳のあり方は、高塚古墳の単独性、あるいは惑星+衛星様のユニット構成の推移からみれば、葬制の世俗化が進んだもの、と見、翻って寺院の建造ひいては大仏の建造というものは、分散する富や労働価値を建造に集中させる、と見立てるのなら、先の過程と真逆の営為を実体とするのである。ちなみにpoliはこの2種の潮目の混在とみる立場にたつ。臆断だね、また、、、