朝日遺跡の検見塚

 と、つぶやかずにはおれず、poliは、さらに検見塚へ視線を移す。


自動車道に埋没、累層させ不可視となってしまうのも、消費の作法からなかなかポストできない、超えられない、アポリアな表象。

各自異なる選好によって、思い思いに地所はおろか、空間をも消費し畳重され、記憶の喚起も埋没させてしまう。

で、ハタと気づき、掘り返したら、虫の息。
 先の濱田における(というより、濱田の師ペトリーの言)「発掘は、遺跡の破壊である」を"遺跡の発掘の一回性の自戒ないし警句"、ととるならば、命の暗喩を直感し、これを。

生命、とはいわないまでも、一回性のものであるが故に、サンデル、もといフィリッパ・フットのトロッコ問題が、ゆるゆると浮上する。悲鳴もあげることもできずに。
 検見塚や志段味にとどまらず遺跡ひいては史跡の周囲は、経済学的に観れば、このような選好と選好の切り結んだ末の機会費用が出来する現象面なのである。ことここに至っても考古学者はこういう娑婆臭にいつも横を向く。これをいいことに、制度のプレイヤーは事務的に滞りなく事を運ぶ。しかし検見塚では、吉田富夫は事を運ぼうとするプレイヤーになんとか竿をさす。彼は先の森本の後を受けたうちの一人である。が、彼も藤森とは独立で同じ違和感をひしひしと感じていたのだろう。他の研究者たちは何をしていたのだろうか。もっとも。それは、その後の吉田に最晩年、与えた仕打ちがひとつの答え、なのかもしれない。これも"事を運んだ"体なのか。残念である。