DBの話に戻れば、

 この数年、ビッグデータというコトバが独り歩きしている。ここでnoSQLというタームが同時に飛び交い、これを差してRDBMSの後継などと書き立てる向きがあるが、結局のところ、これも単系的発想の帰結に他ならない。升目から層へカタチを換えただけのことであり、RDBMS=升目の理解を母体をとしてOLAP的に加工・再構成しているようにしか見えない。升目の理解をもとに制御する、のが構築の前提ではないのか。上の群集墳云々を介して観れば、そもそも、分析サブという機能の特化の一方向に過ぎないのでは、というのである。