大月隆寛2004『全身民俗学者』夏目書房

 三中さんにすっかり呆れられたpoliの一ボケに登場されたアノ人物は、10数年前、大学時代のpoliにとって、ヒーローな研究者像であった。「エ〜あんなだまし絵みたいのがぁ?」だまらっしゃい!!最前から暴言にも甚だしいんだよpoli
 浅羽通明が、ニセ学生マニュアルのこの版にて、「柳田が去り、そして坪井が物故した民俗学がぁぁぁ!!」というセンセーショナルな記述の一助としていたのが、大月隆寛であるのは明白である。(現在は小熊英二だけど、その当時の攻撃目標は、大塚英志。近年大塚がミョ〜に打たれ強いのは、かつて某カルチャースクールで大月が水差しで〝聖水〟をかけたかららし〜よ。こっち参照。)浅羽は、ここで佐藤健二も取り上げていた。つまりpoliは、当時、この二人が民俗学の若手と捉えていたのである。単純だね。んで。
 小川徹太郎。第3の男。おめ〜が見落としてただけだろ!前二人の理論的な深さと対照的に、専らフィールドを大月の厩舎のような特定の職場ではなく、従来的なフィールドである漁村を歩き、寝泊まりした。職場と床が内包された「地域」である。上掲書は、fischeさんの言から知ることとなった。水上生活者の研究は、赤松啓介以来の、柳田の〝投網〟から免れた存在に光を当てる視座を有する。poliのような素人には鮮烈な論考であった。また漁師の諸研究は、技術の修得というものが、漁をする集団と個人のなかで行き交い生き生きとした記述がなされたものである。
 このような民俗学本体にありつつも、近年の山之内靖、ひいては畠山弘文(五絃舎のが絶版??まじすか)らが検討することとなった「動員史観」と呼ばれるようなコミットする論考もある。この辺が歴史表象研究会のなかで議論されたテーマのひとつとなっていたのだろうか。ちなみに。どうやらこの研究会に参加していたらしい吉見俊哉『博覧会の政治学』(1992, 中公新書)、近年では『万博幻想』(2005, ちくま新書)を著したこの史観に連なるキーマンといえる。ついでに言えば、博覧会の元祖パリ万国博覧会を開催した推進力は、シュバリエをはじめとしたサン・シモン「教団」の動員によるものであったことを示したのは、『絶景!パリ万国博覧会』(2000, 小学館文庫)を著した鹿島茂である。
 、、とまあ、集団史を突き動かしたキーマンのなかで、ケの領域に存する集団を叙述するのは、至難の業であろう。現に畠山は、戦争・ワールドカップ・自動車教習所という特定イベントを対象としている。鹿島のそれは、万博という正真正銘のイベントである。また彼には他で扱ったものがあるにはあるがは、フランス革命〜ナポレオン帝政鼎立という著名なイベント群を野球ペナントレース予想屋に身をやつして説いたエッセイで、マルクスブリュメール十八日』二十日っていつのことだよ!!poliの秀逸な絵解きとなっている(大航海 No.25(1998 新書館)所収)。いずれもハレなイベント時の集団の姿、なのだ。これらと対置するそれを語る困難は、民俗学においても同じであろう。しかしそこへ小川は突き進んだ。poliはまたも独り瞠目する。
 久しぶりに、〝蛸足がたくさんついた〟本に遭遇。やっぱこういう悦楽を求め、散財と〜ぶんやまず。だろなぁ。これでは。