戸沢充則1995「縄文時代論のもう一つの視角」『縄文人の時代』新泉社

考古学において、学ぶべき対象:遺跡,遺構,遺物にランク付けする、というのは躊躇を覚える。たてまえはね。以下にひとつの〝身振り〟の二つの在り方をとりあげる。


明治二九(一八五六)年五月、内務省に古社寺保存法が設立され、明治初期の廃物毀釈などで荒廃した古社寺を保存・修理する途がひらけた。しかし、奈良県はもとより、全国的に古建築の調査はまったくなされておらず、まず、何があるのかを確認することから着手しなければならない状況だった。
 同年一二月、古社寺修繕工事監督・古社寺保存委員として、奈良県に赴任した関野は、わずか半年後に、室町時代以前に創建したと伝える県下三百五十余の古社寺の調査成果を県知事に提出した。それは三百五十余の古社寺にある千余の建物から、確実に室町時代以前にさかのぼるもの八〇棟を選びだし、歴史的価値・芸術的価値・破損度の観点から、それぞれを五等級に分類表示したものだった。その調査のスピードだけでなく、建物の時代判定がほとんど誤っていなかったことは、現在なお建築史学者の間で驚嘆の的になっている。
(上原 1997, p.57上段 ll.10-25)
んで。翻って。

 いま縄文ブームをひきおこしているような考古学上の発見は、ここ二、三年の間に急に始ったことではない。最近ある雑誌の特集記事で、「縄文観を変えた重大遺跡はこれだ!」というのがあって、重要遺跡を一〇カ所あげてほしいというアンケート依頼がきた。ややためらいながらわたしが答えたのは、次の諸遺跡であった。念のため発見ないし主要な調査結果がもたらされた年代順にその一〇遺跡をあげてみる。【引用者略。この部分遺跡名が並ぶ。ばかばかしい。】
 以上がわたしがアンケートに答えた一〇遺跡であるが、他の八名の研究者とマスコミ関係者がそれぞれあげた一〇遺跡の中には、【これも引用者略。四つの遺跡名が並ぶ。もうやめえや】等々の重要な遺跡が三〇カ所近くもある。このように縄文時代を見なおすような発見は、すでに二〇年以上も前から学会の内部では話題になっていたのである。
(戸沢 1995, p.276 ll.14-16,p.277, p.278 ll.1-7 太字表記は引用者)
いやぁ、緊張感のまるでない後者。なんだろね。これは。前者と比較するのは酷といえば酷。か。
 廃仏毀釈直後の荒廃という難局に臨み、官僚として研究者として関野貞が行った冷徹ながら適法たる措置としてのランク付け。
 そして。戦後。である。太字にしてみたけど、「そんなん、前から知ってたよ〜」ってヲタかよ!「マスコミで話題になっていた」のまちがいだろ。マスコミを利用しようとして自分がネタにされた構図がもろに出ている。そしてマスコミの思考法=後者のランク付けが、考古学者のランク付けになっている。ま、こういうのが、以前示した小発見だの大発見だの、とかいうランク付けに至るんだろね〜。あ〜あ〜あ〜。なんかむごいもんだよね。