廣瀬鎮1972『博物館は生きている』NHKブックスジュニア

 fischeさんが北名古屋市歴史民俗資料館の展示から「回想法」プログラム、というべきものを注視している。


そして、ここの活動を特徴づける「回想法」プログラム。博物館が求め、求められ、さらに求めていく、求められていくであろう、さまざまな関係の項を整理する必要を思う。
(October 15th, 2006 "Showa 30's"より)
 と、おっしゃっているので、そんなはやばやワイワイいいなや!!と気を悪くされるかもしれないが、敢えて気づいたことを記しておきたいと思う。
 「懐かしい」と感じることができる距離の近さを実感できる対象を展示しているのが現代資料の展示の盛行をつくった強みである。しかしこの時間の距離というものは、絶えず遠ざかっていくのである。そうした場合、こういった盛行は、時限的なもの、〝水物〟となるリスクを孕んでいるのかもしれない。例えば、来館者であろうが展示企画者であろうが、前項に示したようにマーブルチョコレートとして〝熟成〟してもうていたら、リスクに呑まれていくのではないか。fischeさんとつねづね話題としている書籍で既にこの「回想法」プログラムに対する配慮の一方向が示されている。poliは、この記述を目にしたから、さも自分の見解であるかのように上のリスクを危惧しているのかもしれないのだが。
 ちなみに、著者が対象としているのは博物館明治村である。

 この博物館は、今のご老人にとっては、確かに懐古趣味を満足されてくれるものでしょうが、新しい時代に生きる人にとってはどうでしょうか。明治時代に使われた本物を正しく自分の目で見て、わたしたちの社会の変遷を目のあたりに学ぶとともに、将来を考えてみることができるのです。物を見て明治時代をよりよく知るためにも、どんなささいなものでも明治時代に使われ、明治時代から今日まで残されたものをなるべく多く、万人の協力で集めなければなりません。【引用者略】
 新しい時代の博物館をささえ育て、これを受け継ぐのは現在若く、将来りっぱな社会人になっていく人たちです。博物館は市民一人一人に心のなかから生まれ、過去の日本人がつくり上げてきた文化への積極的な理解と、新しい文化をつくり出す意欲によってつくられるということをわかっていただきたいのです。
(廣瀬 1972 p.176 ll.13-16, p.177, p.178 l.1)