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ワッツ, ダンカン2012『偶然の科学』早川書房

ワッツ, ダンカン2004『スモールワールド・ネットワーク』阪急コミュニケーションズ

脈打つ分布図へ。。。

朽木さんの墓碑群構成の検討は、スカラーな分布図から有向/無向のネットワーク図にシフトする一つの提案である。

レッシグ,ローレンス2007『CODE VERSION 2.0 』翔泳社

にある。これなども、どういった営為であるのかを分析する好い対象といえる。

フリント,アンソニー2011『ジェイコブズ対モーゼス: ニューヨーク都市計画をめぐる闘い』鹿島出版会

なお、上のモーゼスのゾーンニングを含めた技法の列挙が、、

お?!モーゼス?

櫻井さんの発表において紹介されていた、モーゼスについては、こんな本が。

確かに

ボルドリアン、アンビリアンpoliは身体の構造だけ稍アンビリアン、てバカこの!的な営為とはリンクする。ただ単方向的にとどまらないのでなかなかに説明困難な対象に変わりなし。

actor-network理論、とな??

生業でいえば、オブジェクト指向を介したモノ-行為の分離からエージェント指向とみるか、アスペクト指向とみるか。。みたいな。

前日のお話は、いつの間にやら国際問題

なんかこう、スネイクマン・ショーのポール・マッカトニー特別捜査室的な「国際問題にするおつもりですかっ?」みたいな感じになってますね。父や異性におどおどして関係に苦慮するシ◯ジくんがサー◯・イン☓ク△に立ち向かう。対人関係から一気にセカイに飛躍…

いまこそ!!

ファシストに親子ともどもケンカを売り、 ケインズ、ハイエクへのチャチャ入れはおろか、Circus Keynes、ウィトゲンシュタイン等々、折々の賢者を鼻をくすぐり、 その一方で、先覚者グラムシの遺産を守り、リカルドゥ大系を整理した、、 このcoolなイ◯公の再…

菱山泉1993『スラッファ経済学の現代的評価』名古屋大学出版会

並べ読みしようと前者を年末ギリで購入したものの、三が日終了し病臥。。。。それにしても、後者の紙価の高まりは、、、、何じゃい!誰がそんな値で買うのか、、、

ハイエク2012『ケインズとケンブリッジに対抗して』(ハイエク全集 第II期 別巻)春秋社

のんびり放縦にできたのは、、

入るから出る方にキリキリすることもなかった、と? んで、今は。出る方にキリキリするのが忙しく、なぜか入る方に目を向けることを迂回している。ようにみえる。。 、 、 、 入る見込みがない、と?時代が違うと?生産性なんて、過去?!と?そっ〜っすか〜…

クルーグマン, ポール2009『クルーグマンの経済入門』ちくま学芸文庫

生産性重要!とのっけから始めるこの書籍も、いまや、ちくま文庫ではなく、学芸というガクブチに容れられている時点で、今の語用でいうところのゾンビ!でも今は封じているからダイジョウブ、、、みたいな、、?!?そんな扱いなわけで?

数で議論が先鋭化はすれど、、、、

生産性を拡大する!とか、、分けるパイの大きくする!にはどうしたら良いか、とかいう、そういう景気の良い話は、しない!ルールでやり取りしている、そういうゲームか何かで?

言論世界の笹才蔵の切れ味

シンパともども小熊英二を撫で斬り。。。オオツキリューカンの鈍刀によるそれよりもスパーっとしたものとなっている。ジャスミン動乱に勘違いするアノ手の面々(多分人差し指でキーボードをうつか、ダブルクリックをトリプルクリックしているような日常を過…

どこを切っても、

この梗概は、どこを切っても、立岩の諸著作と遜色ない、あのもどかしいほどの語り口で、認識として切り取ってきた、ホヤホヤの思考を読者に提供する。中学生向けだろうが、抹香臭い話だが大好きなオヤジどもだろうが、変わらない書き方。

立岩真也2010『人間の条件 そんなものない』(よりみちパン!セ)理論社(現版はイースト・プレス)

またの名を立岩真也自身によるプロレゴメナ。またの名をミレニアム以降の『君たちはどう生きるか』

実践に奔り知識が萎む、

という反動もその逆も論外である。現象を各々の手に切り取ってくるにはいずれも要る。

ヘルムホルツ1999『自然力の交互作用―対訳 (大学書林語学文庫 (814)) 』大学書林

膠着まがいの共生を変じるのは、どちらか一方なのか。それとも追いすがってきた別物なのか、、そういえば (またどっかの中二病中年のツイート前半) こういった二者がともに糧としているのは何なのだろうか (またどっかの中二病中年のツイート後半) 追いすが…

桂木健次1999『環境経済学の研究』松香堂書店

多辺田政弘1990『コモンズの経済学』学陽書房

う〜ん。現物はたしかソフトカバーだったような・・

玉野井芳郎1971『日本の経済学』中公新書

玉野井芳郎2002『エコノミーとエコロジー』みすず書房

情報と対置するもの

さて、ではじゃあ何を?とこの発言者=宮崎駿は自ら御す表現媒体=アニメーションの存在意義を"単なる情報"と対置させているか。 でも、子どもたちの心の流れによりそって子どもたち自身が気づいていない願いや出口のない苦しさに陽をあてることはできるんじ…

情報でさえ、、、、

本来知識はスカラー化されているもので、一方情報は流動化の体裁をとっている。そこから知識へと看取する=固化するに満たない情報そのままをしばしば誤認する。〜どっかの中二病中年のツイート こんなもどかしいのより、もっと的確な把握が、、、、 本来、…

なぜなのか、

頁を繰って合点がいった。自己批判、自己批判あるいは自己嫌悪のこの自己というのが、当事者でないがため分からないのだ。自己批判なはずなのに自己と他者に別れ、互いに攻撃しあっていたではないか、と。内部外部が見えてこない。だから何が開放的で閉鎖的…

どうやら

肯定否定の葛藤が前景にある場合は、嫌悪は背景にあり、逆に、鎮静化あるいはどちらか片方が冗長に盤踞する(多様性・差異性, 大きな肯定と小さな肯定というように例示は本文中では肯定のみ)かしてこの葛藤が背景に転じたとき、嫌悪が現前する、という構造ら…

高橋敏夫1994『嫌悪のレッスン』三一書房

名前よりも、この本のタイトルの方が印象に残っている。嫌悪をキーに戦後の思想空間とモダン〜ポストモダンへの推移を語る総論たる1章と、1章への収斂へと至る各説がこれ以降の章立てに続く構成。 終戦直後の一応総懺悔というワードで語られてきた状況を敵…

気になる本が少々。。

藤原行成972(倉本一宏2011)『権記』上 講談社学術文庫 藤原行成1001(倉本一宏2012)『権記』中 講談社学術文庫 藤原行成1007(倉本一宏2012)『権記』下 講談社学術文庫 10世紀日本随一の能筆家が記した一官僚の業務日報。である。どんな仕事をしていたのかが…