情報と対置するもの

 さて、ではじゃあ何を?とこの発言者=宮崎駿は自ら御す表現媒体=アニメーションの存在意義を"単なる情報"と対置させているか。


 でも、子どもたちの心の流れによりそって子どもたち自身が気づいていない願いや出口のない苦しさに陽をあてることはできるんじゃないかと思っています。ぼくは、子どもの本質は悲劇性にあると思っています。つまらない大人になるために、あんなに誰もが持っていた素晴らしい可能性を失っていかざるをえない存在なんです。それでも、子どもたちがつらさや苦しみを面と向かって生きているなら、自分たちの根も葉もない仕事も存在する理由が見い出せると思うんです。
前掲書pp.158-159 ll.16, ll.1-5
 つまらない大人とか、悲劇性とか、いくら中二病中年poliを頷かせしめるほどのものとは全く思えないが、子どもだろうが大人だろうが群盲同士、寄り添って象をナデナデして互いの気づいていないところを補い合う、というのは本質的な営為なのだと思う。